選手インタビュー

竹下百合子さん 竹下百合子さん カヌー・スラローム 2008年北京

【カヌーと出会い中学2年で海外を経験】

元川悦子(以下、元川):カヌーのシーズンというのは、やはり夏なのですよね。

竹下百合子(以下、竹下):主にそうです。4月から国内の試合が始まって、だいたい10月の終わりぐらいまでです。今年はオリンピックの予選もあるので、長くて12月まで試合があります。12月にアジア選手権が中国でありますので、そこまでですね。

元川:それがオリンピックの予選なのですか。

竹下:はい。1次予選として9月に世界選手権がスロバキアであるのですが、そこで国別で上位10位に入らないといけないんです。そこで出場権が取れなかったら12月のアジア選手権で、次は大陸で決めることになるので、早ければ9月には決まりますし、遅くても12月には決まります。

元川:まず、日本の枠を取るということですか。

竹下:そうですね。国別なので。でも前回も一緒だったのですけれど、今回、多分日本の場合は取った人が行くようになります。だから、世界選手権でも、日本の中でも1位にいないと…。

元川:日本で1位を取った人が行くということですね。では、出場者は一人だけ。

竹下:そうです。

元川:カヌーの競技ですが、カヤックとか種目はどのように区分けされているのですか。

竹下:私たちのスラローム競技には、カヤックとカナディアンがあります。私がやっているのは、カヌー・スラロームのカヤックです。カナディアンはパドルが片方しかなくて、私がやっているのは両方に付いているものです。大きく言えばその違いですね。女子の種目が去年から始まったのですが、それまでカナディアンは男子だけだったんです。

元川:カヌーを始めたきっかけは、お父さんがアウトドア好きだったからということですけれど、生まれはどこだったのですか。

竹下:生まれは福生です。9カ月ぐらいのときに青梅の御岳の方に引っ越して、小学校2年生ぐらいのときに近所にカヌーの協会に所属している一家が越してきて、その家族とうちの家族が仲良くなって、それで誘われて始めたのです。だから、最初のころは家族全員でやっていました。両親と姉、みんなで。最初はプールとか、まず流れのないところで乗って、その後は父がすごくはまって、試合なども出るようになったんです。

元川:最初のころで何か印象に残っていることはありますか。

竹下:ジャパンカップが年に何回かあるのですが、初めて出たのが小学校6年生のときで、そのころはゲートを通過するのも大変だった記憶があります(笑)。

元川:最初は真っすぐ進まないと言いますよね。川の流れをコントロールしなければいけないということで、バランスとかリズムが大事だと思うのですが。

竹下:でも、小さい時に乗っていたので、バランスなどは多分すぐにわかったと思います。結構、小さい子の方がバランスよく乗って、大人は引っ繰り返ったりするんです。小さい子は変に力が入らないので、すいすいと乗れたりするので。

元川:それで、竹下さんも結構面白いなと思ったんですか。

竹下:そのころ、面白いとはあまり思っていなかったですね。カヌーがやれるというよりは、いろいろなところに行けたので、それが好きだったんですね。父は青梅市カヌー協会に所属していたので協会の方たちと一緒に川下りをしたり、キャンプしたり、そういうことがすごく楽しかった。

元川:最初はアウトドアの遊びみたいな感じだったのですね。それが、小6で大会に出て。

竹下:それからは結構、公式試合に出場するようになりました。小6で初めて出てからは、毎年ジャパンカップに出場しました。最初のころは引っ繰り返ってしまって泳いだり、不通過になったりしていました。中2のときに初めて入賞しました。その年に3戦ぐらい出て、3戦とも2位、3位、2位とか、結構上位の方に入ることができて、そこからそういう結果が出る喜びがわかってきました。中2の年で海外にも初めて行かせてもらって、練習に行ったのですが、そういうもので意識が変わっていったのかなと。

元川:海外遠征に行ったというのは、ジュニアの代表に選ばれたということですか。

竹下:そのときはトレーニングで行ったんです。お世話になっている協会の人に一緒に行かせてもらって、オーストラリアのシドニーから1時間ぐらい田舎の方にオリンピックのコースがあるので、そこで初めて海外のコースでも練習して、実力が伸びていったというか…その経験が大きかったです。初めてジュニアの代表に選ばれたのは中3でした。

元川:シドニーオリンピックのコースはやっぱり全然違ったのですか。

竹下:海外のコースはみんな人工のコースなんです。人工コース特有の流れとか波とかがあるので、そういうものに慣れるまでは最初は大変でした。人工で造ってあるので、やはり自然の川とは流れが全然違います。川は川で難しいのですが、人工コースは人工コースで特別な感じです。オリンピックは全部人工コースです。

元川:日本では人工コースはないわけですね。

竹下:ないですね。富山県の方に半分だけ人工で、川にちょっと石を入れたりして造ったコースはあるのですが、そこも一年中水があるわけではないです。

元川:では、日本では練習できないわけですね。

竹下:そうですね。だから、海外で勝つにはそういうコースに慣れておかないと、どうしても海外の選手とは差が出てしまいます。やはりオリンピックで使うコースで練習できる地元の選手は強いですね。どんなコースでも強い選手もいるのですが、ほかの試合で結果が出ない選手も地元では急にトップに来たりする選手が結構います。とにかく海外との環境の違いを思い知らされたというか、海外でやっていた練習を日本でやりたくても何もできないし。似たようなことをやってみるけれどもやはり違うので、毎年、海外に行かざるを得ないところがあります。

元川:帰ってきてから練習方法が変わりましたか。

竹下:そのときに初めて海外のコーチに見てもらって、いろいろと教わったので、それを帰ってきてからも意識してやるようにしていました。例えば、流れの使い方をどうするとか、ゲートに対してどういうラインで入るとか。そのころはあまり余裕がなかったです。コースで漕げること自体が大変だったので。ゲートに行くのが大変だったですから。

元川:技術を磨くというのはどのようにするものなのですか。

竹下:基礎練習とか、ゲートに対していろいろな、ラインというのですが、流れをつかんでとか、この流れをよけてとか、いろいろな入り方があるので、そういうものをいろいろなやり方で、どうやったら速く通れるか、早くゴールできるかというのを考えながら。やはりがむしゃらにこいでも速いわけではないので、うまく流れを利用してやるのが大事です。

【ジュニア世界選手権を経験し高いレベルを目指す】

元川:海外に行ってまさにトップを目指して頑張ろうという気持ちになったのですね。

竹下:大きく変わったのは、中3の時にジュニアの世界選手権に出て、そこで実力の差が分かったというか衝撃を受けました。一応予選は通過できたのですが、準決勝で27位で。高3の時には決勝に出て上位を目指していたのですが、9位ですごい悔しい思いをしました。その世界選手権の前の年に、その会場で練習しているチームに交ぜてもらって、スロベニアで一緒に練習させてもらったのですが、世界選手権ではそのスロベニアで一緒に練習した同い年の子が優勝したのです。そういった意味でも刺激が強かったし、その子も今もやっています。

元川:同じくらいの年の人が世界でやっていて、上には上がいることを知るとモチベーションが上がりますね。

竹下:やはり上に行きたいなという気持ちが強くなります。決勝の10人の中に入って、そのときは通過できてうれしかったのですが、やはり決勝で終わってみて、もっと上に行けたなというのがすごい、それが何か悔しくて。決勝でうまく理想の漕ぎができなかったというか、失敗してしまったので、それがすごく悔しかったです。

元川:それは何年ぐらい前ですか。

竹下:2006年ですね。

元川:では、視野にオリンピックは入っていたのですか。

竹下:そんなには入っていなかったです。このころは自分がオリンピックに出られるとは思っていなかったので、あまり頭にはなかったです。

元川:とにかく世界のレベルを知って、失敗を何とか克服してもう少し上の順位に行きたいということに集中していた、という感じですか。

竹下:はい、大きい目標としてオリンピックはあったのですが、そのころの実力ではまだ明確にはなかったというか、目の前のジュニア世界選手権とか、そういう目標の方が大きかったです。

元川:それが高3だったから、進路で大学に行くか、高いモチベーションを持って、よりレベルアップしたいという気持ちが強かったから、外国に行こうという気持ちもすごくあったわけですか。

竹下:あったのですが、結局早稲田を選んで、スポーツ科学部なのでスポーツの勉強もできるということで、今となったらすごく良かったなと思います。それを取るか、海外に行くかの二択しかなかったので、受からなかったら海外に行っていたと思います。

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