選手インタビュー

大澤明美さんインタビュー

大澤明美さん 大澤明美さん カーリング 1998年長野

頭脳的な要素を備えるスポーツとして、日本でも人気が高まりつつあるカーリング。オリンピックのメダルにこそ届いていないものの、毎回、期待の種目に挙げられている。そのカーリングがオリンピックの正式種目となったのは、1998年の長野大会からである。その舞台に、競技を始めてわずか6年という選手が立っていた。その選手、大澤明美(旧姓・丹羽)の近況と、カーリングの魅力について聞いた。

【カーリングとの運命的な出会い】

五味亜矢子(以下、五味):まず、カーリングという競技に触れたきっかけから教えてください。

大澤明美(以下、大澤):高校を卒業して入った会社の“社技”がカーリングだったんですよ。入社時の面接で、「ウチはカーリングを社技としているので、女性社員には入社したら必ずやっていただくことになるけどいいですか?」って聞かれたのを覚えています。
だから就職した会社がたまたま、当時カーリングで唯一の実業団チームだったことがカーリングを始めたきっかけです。
その頃はカーリングというスポーツがあることは知っていましたけど、それまでやったこともないし、特に関心を持っていたわけでもありませんでした。

五味:初めてやったときの印象はどうでしたか。

大澤:だからというわけでもないんですけど、特別な印象はなかったですね(笑)。私が初めて氷に乗ったのは、当時、会社の敷地内にあった天然の氷の上にビニールハウスを建てた施設で、そのとき20kgもあるストーンを持ち上げようとして、会社の先輩に「持ち上げるんじゃなくて氷の上を滑らせるのよ」って注意されたことをよく覚えています(笑)。今でこそ、テレビ中継などでカーリングを見る機会が増えたので、もうそんな間違いをする人はいないと思いますけど、その頃の私は基本的なことさえ知りませんでした。
ただ、それを教えてくれた先輩方というのが、そのシーズンに開催されたアルベールビルオリンピックに出場したんです。まだカーリングは公開競技でしたが、それでも初めて教わった相手が日本代表選手で、しかも会社の先輩でもあったので、その印象はやはりすごく強く残っていますね。今思えば、基本さえわからないときから、自然とオリンピックを意識していたのかもしれません。そういう意味では、オリンピックが開催されたタイミングで入社したことは幸運だったと言えますね。

五味:では、公開競技とはいえオリンピックに行った方が身近にいたわけですね。

大澤:そうですね。それも一人じゃなく、会社のチームがオリンピックに出場したので、私はナショナルチームの中でカーリングを始めたようなものなんです(笑)。でも逆に、周りにいる人が凄すぎて、自分がオリンピックに出るなんて、最初は想像さえできませんでしたね。

五味:小さいころは何かスポーツはされていたのですか。

大澤:北海道なのでスキーは小さい頃からやっていましたし、学校では小中高と陸上をやっていました。特に運動神経がいいというわけではありませんでしたが、スポーツをすることが好きでいつも身体は動かしていましたね。

五味:高校を卒業して会社に入って、カーリングをやっているという環境だったから始めたということですね。

大澤:1年目は、カーリングを初めて1カ月半くらいで出たオープン大会で惨敗した後、私にとって初めての公式戦だった地区大会があって、そこで予想外の好結果が出て、北海道大会に出場できることになりました。その北海道大会でもなぜか準優勝してしまって、自分でも何が何だかわからないうちに1年目から日本選手権まで勝ち進んでしまって。さすがに日本選手権は予選敗退だったんですが、このときまだカーリング歴5カ月くらいでしたから、本当に運も味方してくれたなって思います。

五味:最初は何がなんだか…という状態から、競技としてのカーリングに対して実感がわいてきたというのはいつころですか。

大澤:3戦目の北海道大会からですね。これも幸運と言えるのかもしれませんが、この頃から自分が上達していくのと、試合に勝つことがうまい具合にシンクロしていたんです。だから練習すると、試合に勝てて、嬉しくてまた練習するっていう感じで。あと、私に一からカーリングを教えてくださった方が褒めてくれるタイプの指導者だったことも、私にとってはすごく大きかったです。子どもみたいなんですけど、褒められるのが嬉しくて、「もっと頑張ろう」って、どんどんのめりこんでいく感じでした。

五味:世界選手権に出たのが、始めてまだ2年目ということですよね。

大澤:はい。でも1年目も世界選手権には行きました。会社のチームが日本代表として出場したので、応援団の一人としてドイツへ行ったんです(笑)。そのとき1万人くらい入る会場がほぼ満員という中で先輩方がカーリングをしているのを見て、「こんなところでできるなんてすごいなぁ。自分もここに立ってみたいなぁ」と思いました。でも、はるか先にある夢という感じじゃなかったし、実際、その翌年の世界選手権に出場することができました。

五味:本当に競技を始めてすぐというのがすごいですよね。

大澤:もちろん、自分にもセンスがなかったわけじゃないと思うんですが(笑)こうして話をすると、我ながら本当に恵まれていたと思いますね。会社に行けば毎日練習できて、教えてくれる先輩方はみんな現役の日本代表なんですから。この頃は本当に、毎日カーリングできるだけで楽しかったです。

五味:ご出身は北見ということですが、北見、常呂あたりはカーリングが盛んですよね。

大澤:カーリングはこれまで4回のオリンピックに男子1回、女子は4回、合計でのべ25人が出場しているんですが、そのうちのべ14人が常呂町の出身者です。常呂は人口が5,000人ほどの小さな町なのですごいことだと思います。もちろん、私の出身地である北見とか網走などの隣接する地域でも盛んで、この地域をオホーツクブロックと呼ぶんですが、当時はこのブロックで優勝したチームが日本選手権でも優勝するというくらい強豪チームがそろっていました。ちなみに、のべ25人のカーリングオリンピック代表のうち、24人が北海道出身ですね。

五味:競技を始めてすぐでしたが、大澤さんご自身も大会に出ることで面白さがわかってきたり、世界選手権に出るような先輩からどんどん吸収していったという感じでしょうか。

大澤:先輩方やコーチからは本当にたくさんの刺激をもらいましたね。もちろん、世界選手権という舞台に2年目から出られたこともすごく刺激になりました。でも嬉しいと思ったのは最初だけで、「もっと強くならないと勝てない」という気持ちのほうが大きかったですね。私たちのチームは会社から多大なバックアップを受けていたので、これだけ恵まれた環境の中でカーリングをしているんだから、私はもちろん、チームとしてももっと上へ行けるはずだって強く思ったし、行かなければいけないという気持ちもありました。

五味:当時は先輩の中に入って4人のチームで、いろいろ教えられながらやったんですか。

大澤:私の場合は3年目から日本代表の強化チームに選ばれたこともあって、この頃は決まったチームというのがなかったんです。3年目がちょうど長野オリンピックの4年前だったんですが、この年の強化合宿に男女20名ずつくらいが選ばれて、翌年には10人に絞られて、代表AチームとBチームの2チームが編成されました。最初、私はBチームだったんです。

五味:大澤さんは何か、特別秀でていたところというのがあったんでしょうか。

大澤:それはどうですかね(笑)。ただ今言えるのは、最初に指導してくれた方との出会いは本当に大きかったということです。それが順調に成長できた一番の要因だと思いますね。練習を積み重ねていく上でコーチとぶつかることもほとんどなかったし、私は負けず嫌いなので、負ければ負けるほど勝つ方法を考えたり、練習したりするタイプなんですけど、そういう私の性格をコーチが上手に操ってくれて、サポートしてくれたことには今でもとても感謝しています。

五味:カーリングという競技で選手として必要なものというのは、何でしょうか。

大澤:よく、「体力はあまり使わないんじゃない?」って言われるんですけど、とにかくまずはフィジカルの強さですね。氷の上で2時間半から3時間近く立っているだけでも体力は消耗するし、スイーピングという氷の表面をゴシゴシするのも、かなりの筋力が必要です。試合後半になって疲労がたまってくると、今度は集中力が落ちてきてメンタル面に悪影響を及ぼすこともよくあります。もちろん、デリバリーという投げる動作にも影響があるので、十分なフィジカルの強さがないと世界では通用しません。ただ、「勝つために必要なもの」という意味では、私は協調性が一番大切だと思います。先日サッカーのワールドカップで日本代表が大活躍しましたけど、チーム同士が対戦する競技においては、「チーム一丸となって戦う」という気持ちがないと良い結果は残せないと思います。特にカーリングは控え選手を入れても5人しかいないので、少しでも輪が崩れてしまうとなかなかうまくいかないんですよ。

五味:チームの選手4人で、役割として細かく見ればいろいろあると思うんですが、大澤さんの実際に長野オリンピックの時の役割というのは具体的にお聞きできますか。

大澤:カーリングは投げる順に、リード、セカンド、サード、スキップというポジションがあって、控え選手はリザーブとかオルタネイトと呼びます。私は長野ではリードとして4試合に出場して、3試合がリザーブでした。
リードの役割はここで話しきれないほどたくさんあります(笑)。
まず、リードは第1投と第2投を投げ、あとの6投をスイーピングします。第1、第2投に与えられるタスクは「布石を置く」ということです。邪魔をする相手のストーンがないのでショットの難易度は低いんですが、その代わり、成功率は常にチームで一番高くなければいけません。それが終わったら、あとの6投はスイープするわけですが、そのときストーンの進行方向や速度などを見て、その情報をチームメイトに伝えるのもリードの仕事です。
スイーピングにはスピードを調整する役割もありますが、それ以上に大切なのが、ストーンを真っ直ぐ進ませたり、たくさんカールさせたりする役割です。氷の表面は試合をしている間、刻々と状況が変わっていくので、それをしっかり把握して正確にスイーピングしないと、指示通りに投げたストーンも結果的にミスショットになってしまうんです。ちなみにカーリングの縦の距離は約40mなのでその往復で約80m、これを1エンド6投で10エンド繰り返すので、1試合で4.8kmの移動をしながら、あのゴシゴシをしなければならないんです。
しかも1日2試合という日が普通にあります(笑)。

五味:どのへんに投げるかということを皆さんで話し合って決めるときに、キーになる選手というのは誰になるんですか。

大澤:どこに投げるかはスキップが一人で考えて決めるのですが、試合前のミーティングで戦術面も確認し合うので、ほとんどの場合はスキップの意図をチーム全員が理解できます。それでも1試合に何回かは迷う場面が出てくるので、そういうときは選手が集まって話し合ったりもしますね。私たちのチームは、全員が同じ作戦を考えて投球できるように、常にチーム内でコンセンサスを取りながらプレーしていました。

五味:そういう意味で、チームワークが大事になるんですね。

大澤:カーリングには「フリーズ」っていう、ストーン同士をピタっとくっつける作戦があるんです。これは本当に数センチ単位の精度が必要なので、この作戦を実行するときには、投げる人はもちろんですが、実際はそれ以上に他の3人の役割が重要なんです。

五味:カーリングの練習では、いろんなケースが考えられる中でパターンごとの練習をしたりするんですか。

大澤:練習は大きく、基本練習、フィジカルトレーニング、実戦形式の3つに分けられます。カーリングは冬の競技なので、夏場はフィジカルトレーニングを重点的にやって、シーズンに入ってすぐは基本練習、そして大会に向けて実戦形式の練習が徐々に増えていくという感じです。ただ私たちの場合に限って言えば、チームワークを向上させる意味もあって、作戦を考えながらの実戦形式の練習を多く取り入れていました。こういう場合もあるんじゃないか、こっちがいいんじゃないかということをチームで話し合いながら練習をしていました。

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