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- オリンピアンインタビュー
- 第13回 野口みずきさん
【海外での経験】
高橋:最初に海外に行ったのはいつですか?
野口:最初に海外に行ったのは1999年のイタリアのシチリア島であった世界ハーフマラソン大会が初めてでした。
高橋:そのときに何か印象を受けたことはありますか?
野口:私は世界大会が大好きだったから、7キロぐらいの周回で走っていたんですけど、先頭だったんですよ。最初は「外人についていけばいいや、初めての世界大会だし」と思ってスタートしたら私が先頭なんですよ。なんだこんなもんだったのかと。そのままずっと先頭にいて、最後ロルーペ選手(ケニア)に負けてしまいましたけど。周回のたびにお祭りみたいな感じでアナウンサーが『ミズキ・ノグチ』と言ってくれるのが、すごくワクワクして嬉しくて。
高橋:行くまでは世界で自分が通用するのかなっていう不安はありましたか?
野口:そうですね。
高橋:でも行ってみたら、なんだこんなもんか、みたいな?
野口:はい。すぐ緊張の糸がほぐれて、そのまま先頭を走ってしまえって感じで。
高橋:すごいですね。そこって何かターニングポイント。さっきターニングポイントという話がありましたが、もう一歩世界に出ていく、あるいは世界の中で自分はいけるなという自信にはなりましたか?
野口:自信にはなりましたね。どんなところでもやっていけるかなっていう、手ごたえみたいなものは掴めた気がします。
高橋:前に少しの間でも外国で暮らされたことはありますか?
野口:はい。アテネオリンピック前とか世界陸上前とか、ずっとスイスのサンモリッツで。
高橋:サンモリッツ行ったことあります。
野口:きれいですよね。
高橋:すごくいい所ですよね。
野口:なので大体2ヶ月半とか、長期にわたって行っています。
高橋:いいですね、と言っても練習で、観光で行ってる訳じゃないから大変だと思いますけど。
野口:でもいいですよ。中国で合宿したり、アメリカのボルダーで合宿したりしても。でも外国に行っても日本食が恋しくなるということはあまりないんです。
高橋:ないんですか。じゃ日本食を食べにみんなで連れだってとか、食材送ってとかいうのは、全然?
野口:食材っていっても、ふりかけとか調味料みたいなものを持って行ったりするぐらいで、むこうの食べ物を楽しむほうですね。
高橋:すごい順応力ですね。食べ物もそうだし、環境もそうだし、文化的なこともそうだし、すぐにどこでもやっていけるタイプですね。
野口:というより、やっていきたいというタイプですね。
高橋:すごいですね。スポーツ選手は大事じゃないですか、栄養バランスが。どこでもその場その場のものに適応される。
野口:雑食なんで(笑)
高橋:それが強さなんでしょうね。特に外国の生活で何かカルチャー・ショックを受けたとか、あるいは逆にこんなことを学んだとかいうことはありますか?
野口:いっぱいありますね。外国の人たちは知らない人でも挨拶して、フレンドリーに話しかけてくれるので、私もそうなれたらいいなと思います。自然におはようございますが言えるような。監督は陸上競技だけじゃなくて、生活面でも一人の女性として、しっかりしなくちゃいけないというのをすごく持っていて、それがお父さんみたいなんですけど。挨拶はちゃんとしたほうがいいという教えは受けているので、挨拶はちゃんと出来る方だと思うのですが。
高橋:1人の女性としてとは例えばどんなことでしょう?
野口:食べ方とかマナーとかもちゃんとすること。昔から監督はおっしゃっていたのですが、ありがたいなと思うことが多々あります。教えてもらって良かったということが。
高橋:アスリートというのは強ければいいというイメージがありますけど、それだけではなくて。
野口:監督は強ければいいという考えの人ではないです。
高橋:そういう方だから付いて行こうとお思いになるんでしょうね。皆さん、外国に行かれて、例えば荻原健司さん、外国人選手の目が違ったとおっしゃっていました。今までは言われたことをハイハイと練習していたのが、初めて自分からメニューを作って、これをやろうという気持ちに切り替わっていったと。松岡修造さんも日本だとミスをしてはいけなくて、それが怖かったのが外国ではミスをしろと。どんどんミスをして学んでいけと。皆さん外国に行ったことがターニングポイントになって、そこで一歩吹っ切れて、練習にしろ、何にしろ前向きに取り組んでいくようになったと伺ったので、野口さんはどうかなと。
野口:サンモリッツはヨーロッパの強い選手が大勢合宿に来るので、そういう選手の姿勢とか練習を見れて、すごくいいし、やっぱり違いますね。一緒の場所で練習することもありますし。
【世界中の人に自分の走りを見てもらいたい】
高橋:オリンピックや国際的なスポーツイベントに出たときに「何のために戦いますか」と聞かれたら、例えば日の丸をつけているので日本のためにとか、あるいは監督やコーチ、あるいは応援してくれる家族のため、あるいは自分のためと、いろんなことを皆さんおっしゃってくださるのですが、今の質問を聞かれたら、野口さんは何と答えますか?
野口:私は世界中の人に自分の走りを見てもらいたいと。監督やコーチとか、他のシューズを作ってくれる人とか、いろんな人に感謝の気持ちを表しているので。
高橋:シューズはオリジナルの物を作ってもらうんですか?
野口:そうですね。測定して作ってもらいます。サングラスも特注品だったりとか。応援してくれる人みんなに、ありがとうございますという感じです。
高橋:そうすると漠然というより、むしろそういう漠然と応援してくれるファンの方も含めて感謝していらっしゃる。
野口:そうですね。
高橋:あまり日本のためにという感じではないのですね。
野口:日本のためにっていう感じではないですね。でも根本的にはあると思うんです。日本代表として戦っているんだから、誇りを持っています。
高橋:日本人としての誇り、世界の人に見てもらいたいというのは、日本の選手の代表としてですか、個人としてですか?
野口:個人としてですね。
高橋:やはりニュー・ジェネレーションですね。それではちょっとオリンピックのほうに話を移させていただいて、アテネオリンピックに参加して、初めて知ったことは何かありますか?
野口:そうですね。選手村にも入ってなかったし、暑かったのでアテネ入りしたのも4日前で、その後もバタバタしていたので、レースのことしか覚えてないです。
高橋:オリンピックに出た後、かなり大きな変化があったと思うんですけど、オリンピックは何をもたらしましたか?
野口:オリンピックから得たものは、メダルを取ることが出来て、帰ってきて、ちょっと忙しかったですが、行事に出てマナーを学んだり、いろんな子ども達がいる行事に参加したり、色々な経験をすることが自分の心に成長をもたらしてくれたかなと思うんです。
高橋:そうですか。オリンピックで金メダルを取って、スターになった。キラキラした、そういうことばかりが先行してしまうけれども。
野口:そうではなくて、その前の年の世界陸上よりも脚光を浴びることが多くなったんですけど、私はそれよりも色々な経験をすることが出来たのでよかった。それにはまずオリンピックに出てよかった。金メダル取れてよかったなって思えるだけで、キラキラしたものはあまり自分の中には。
高橋:そうですか。岩崎恭子さんも金メダルを取られたあとに、アメリカに行かれて子どもに水泳を教えて、その時に『お姉さん、水泳上手だね』って言うから、『私、オリンピックで金メダル取ったんだ』『すごい』とすごく純粋に扱ってもらって、それが嬉しくて、メダルを取ってよかったなと思ったと。やはりこちらが想像しているより、実際にお取りになった方というのは、ギャップがあるんですね。でも今は色々なことを経験できたから良かったと。
野口:思います。
高橋:現在金メダルは、寮の宝石箱の中にしまってあるとか。あまり見ないのですか?
野口:見てないです。しまったままになってますね。
高橋:別に見たくないから見ないということではなくて?
野口:ではないんですけど。
高橋:足が壊れるまで努力した先に、神様が与えてくださった、1つの金メダルの重さっていうのが、きっと取った方じゃないと分からないかもしれませんね。凄いものだからこそ金メダリストに普通の人が背負わないようなことも一緒に付いてくるのかなって思いますね。でも北京でもう1つ。