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- オリンピアンインタビュー
- 第24回 村田諒太さん
【自分を信じて努力することの大切さ】
子どもたちからの質問:オリンピックに出るために予選は何試合くらいやったのですか。
村田:世界選手権でベスト8に入らないといけないんですよ。世界選手権で、僕の階級は67カ国参加していて、その中でベスト8に入ろうと思えば…一番はじめに64にしないとトーナメント表ができないので、6人の選手は1試合多くやらないといけないのですが、そこに入ってしまったんです。なおかつ、その試合に勝ったあとは世界選手権で2連覇している第1シードの選手と試合だったんです。「なんちゅうくじ引いてくれた」って感じだったんですけど(笑)。結局、4試合を勝ってベスト8に入って、オリンピックが確定でした。けれど、それこそ県予選があって全国大会があって、その上に世界選手権ですから、それだけ多くの人の上に立っているっていう意識を持って練習しないとダメだと思いました。
子どもたちからの質問:得意と思っている技はありますか。
村田:ボディーが得意なので、ボディーを打ってダメージを与えていくのが得意ですね。
子どもたちからの質問:オリンピックの舞台に立って、どうしたら緊張しないで戦えるのですか。
村田:緊張はしますよ。でも、「緊張するから力が発揮できない」とか、マイナスに考えるとダメ。僕も“ビビり”ですし、基本的には小心者なので、だからその分、練習するじゃないですか。緊張する気持ちというのが実は自分の強みなんだと思うことと、あまり勝つこと・負けることだけに焦点を合わせると緊張にしかならないので、勝つこと・負けることじゃなくて、勝ちたいんだったら勝つために何をするか、そこだけに集中すれば、勝ち負けからは離れて少しは気持ちが紛れると思います。でも、ビビりでいいと思います、僕は。それを認めたほうが練習もするし。緊張することを否定することはないと思います。
子どもたちからの質問:緊張してミスをしたときに、どうしたら次に切り替えることができますか。
村田:ミスをしない選手はいないと思うので、「ミスをしたらどうしよう」って思うのではなくて、ミスをしたらそれを次にどうやって生かそうかと考えればいいと思います。ミスをしたからこそ、「次はミスしない」って考えるのであって、ミスのない選手はいないし、ミスをしなくてうまくなる選手もいない。はじめからうまかったら苦労しないし、それは自分の過程、経験だと思ってやっていけばいいと思います。
子どもたちからの質問:今まで競技をやってきて、一番大きなケガはどんなケガで、治るのにどれくらいかかりましたか。
村田:目を切ったり鼻を切ったりとかはよくあることですけど、拳のケガが大きかったですね。だから、右と左と大きさが違うんです。高校2年生でインターハイのベスト8になったのですが、相手を倒した時に拳がへこんだと思ったんです。腫れあがっていて。でも試合をしなければいけなかったので、そのまま2試合やりました。武元先生に拳を見せて「どうですか」って聞いたら、「打撲だよ」って言われたのですが、それが半年以上ずっと痛くて、なかなか治らなかったですね。2年後くらいにエリートのほうのチームに入れてもらって、病院に行って診てもらったら、「これ、折れたままつながってるね」って言われたんです。でも、そのくらいですね。病は気からなので(笑)、折れてると知ってたらもっと痛かったと思いますが、「打撲だよ」って言われて、大丈夫だと思って打ち続けていました(笑)。結果、治るのに半年かかりましたけど(笑)。
子どもたちからの質問:鼻を折ったり顎を折ったりということはありましたか。
村田:鼻はもう、何回も折れています。中学校3年生の時にプロのジムでボクシングをやっていたのですが、中3で14歳だったのに、日本のスーパーライト級、63㎏くらいのプロのランキング1位の人がいて、その人とスパーリングをさせられたんです。その時に鼻がすごく腫れて、血もすごかったのでおかしいと思ったんですけど、迎えに来てくれた父親に「今日、鼻が痛いねん」と言ったら、スーパーでアイスクリームを買ってきて、それで鼻を冷やして僕の治療は終わりました(笑)。
子どもたちからの質問:勝てるコツは、どんなことですか。
村田:勝てるコツなんて、ないですよ。ないけど、自分を信じることですね。無理だと思ったら無理だし、その舞台に立てるかどうか、勝てるかどうかは自分自身にかかっているのであって、舞台に立つこと、勝つことを想像して生きていかないと夢もかなわないわけですから。それを想像して一生懸命やること、それ以外に勝てる方法はないですね。
ゲストプロフィール
- 村田 諒太(むらた りょうた)
- 1986年1月12日奈良県生まれ。中学生のときにボクシングと出会い、南京都高校、東洋大学を経て現在は東洋大学職員・ボクシング部コーチ。大学卒業後、北京オリンピック出場を逃して一度は現役を離れるが復帰し、2011年世界選手権ミドル級で準優勝。翌年のロンドンオリンピックではミドル75kg級で金メダルを獲得した。