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- オリンピアンインタビュー
- 第24回 村田諒太さん
【狙って獲った金メダル】
聞き手:準々決勝が終わってから準決勝までの体調管理というのはどうでしたか。
村田:準決勝の1ラウンド終わりのインターバルで、前の試合より動きがいいと思ったんですよ。動きはいいんですが、1ラウンドが終わったときに「同点くらいかな」と思ったら1対4で負けていて。セコンドも少し疑問な感じがありましたが、「しょうがない、気にせんと行こう」と言っていました。そうしたらこの時、オリンピックの魔物が耳元に来たんです。この2時間くらい前にバンタム級の準決勝で清水が負けていたんですが、オリンピックの魔物が僕の耳元に来て、「お前このままだったら清水と同じメダルやぞ」って言われて(笑)。このインターバル中は必死に、「出ていけ魔物!」って考えていました(笑)。
聞き手:準決勝の相手はサウスポーで、強敵でしたね。
村田:世界選手権で2連覇しているウズベキスタンの選手でした。
聞き手:準決勝を逆転で勝って、決勝は先手必勝という感じでした。
村田:僕は世界選手権で準優勝だったのですが、表彰式って必ず決勝のすぐあとにやるんですよ。3位の選手は試合が終わってから時間が経っているから気持ちが切り替わっているのですが、表彰式ではすごく1位と2位の差が大きいんです。全然違うんですよね。世界選手権のときも、隣でウクライナの国歌が流れて、その瞬間は悔しい気持ちがすごく大きかったです。
聞き手:その悔しさから一転、ロンドンでは一番高いところに立ちました。涙はなかったようですが、このときはどんな気持ちでしたか。
村田:感激していて、夢ごこちみたいな感じでした。君が代って、最初の部分が2回流れるバージョンがあるんですよ。慣れていないので、初めから歌ってしまったんです(笑)。
聞き手:君が代が流れて国旗が上がっていくのを見て、どうでしたか。
村田:これだけをずっと考えていたので、すごくうれしかったですね。
聞き手:村田選手の階級は日本で一番重くてしかも世界では一番層が厚い、日本人では非常に難しい階級だったというのが特に賞賛されています。外国人選手の強さや肌で感じたこと、どのような対策で打ち勝ってきたかということがあれば教えてください。
村田:まずは、得意なことを伸ばすことが一番だと思います。日本人が勝つには、やはり難しい面もあります。外国人選手は普段の練習からトップレベルの選手同士でやっていますし、ましてや層が厚くていろんな選手がいる中で練習している相手に対して、正直な話、日本でそれだけの環境があるかといったら、外国勢ほどの環境はないと思います。ただそれをどう補うかといったら…それを見つけることが一番大事であって、誰が見つけるかというと自分たちで考えることだと思います。僕も専属のトレーナーはいなかったですし、メニューも自分で組んでやっていました。その分、自分で考えてやるっていうことは、全部が身になるんですよね。人から言われたことはすぐに耳から出ていってしまうんですよ。自分で考えてやっていれば、気づいたら身になるわけであって、そのために自分たちがしっかり考えて、何が必要か、どうしたら対抗できるのかということを一人ひとりが答えを見つけ出すことが一番大事なことだと思います。
聞き手:オリンピック期間中は、他の競技の選手との交流もありましたか。
村田:選手村ではあまり交流は持てなかったのですが、大会が終わってから他競技の方と仲良くさせていただきました。吉田沙保里(レスリング金メダリスト)さんや室伏(広治。ハンマー投げ銅メダリスト)さんは人間的にも素晴らしい方ですし、トレーニングについてもアドバイスをいただいたりしたので、スポーツ選手としてだけではなく尊敬できるような素晴らしい人たちで、会えたことは本当にいい財産になったと思います。