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- オリンピアンインタビュー
- 第17回 荒川静香さん
【もう一度正面から向き合って臨んだトリノ大会】
元川:でもそれが、実際トリノを目指したというのは、何がその原動力になったんですか。
荒川:2004年に学生として最後の世界選手権で優勝したことによって、自分としては満足な結果でアマチュアを引退できると思ったんです。けれど、世界選手権でメダルを取ったことで自動的にその次のオリンピックのメダリスト候補に上がってしまい、周囲は「おつかれさま」という空気ではなかったんですね。もともとトリノオリンピックを視野に入れたこともなかったですし、続けると考えたこともなかったので、どうしようか迷っているうちに1年間くらい過ぎてしまって…
一度2004年に満足した結果を得られたにもかかわらず、1年間不本意な気持ちでスケートをやってしまったことに対して、このままアマチュアを引退するということは自分にとって満足なのかと考えたとき、スケートと正面から向き合ったところで辞めたい、もう1年満足感を得るために真剣に向き合ってやってみようと思い直したんです。そこからですね、オリンピックを意識して試合に出て動き始めたのは。
元川:それも、本当にメダルを取ろうと思って。
荒川:メダルは考えなかったですね。メダルのためにやっているわけではなくて、メダルや結果、順位としての結果というのは、私にとってあまり意味のあるものではなかったんです。自分にとって最高に意味のあることというのは、自分がどれほど物事と向き合って日々進んだか、そして、その結果として何かを得たかというものの方が大切なので、結果よりもその物事に行くまでの過程のほうが大事なんじゃないかと。
元川:最後の1年、その過程をどれだけ自分の中で、達成させられるかじゃないですが、ディテールの充実性みたいなことですか。
荒川:そうですね。今日までスケートやって明日からやらなくなったとしても、今日満足に終われるというぐらいに毎日やって、それを積み重ねていきたいと思うんですよね。
元川:その中でも2004年のときに採点が変わったということがあって、そこも一つのハードルがあったと思うんですけれど。
荒川:1年間あまりモチベーションも上がらないこともあり、新採点のルールに真剣に対応して打ち勝たなければいけない、というふうには思えなかったこともありました。ただやはり、やると決めたからにはそのルールというのは避けて通れないもの。そこから把握して極めていくというのは、今でこそ浸透して誰もが頭が対応してますけれども、その頃というのは誰が一番先に新しいルールに頭を切り替えるかということが勝負だったので、把握して切り替えられた人が残っていく、切り替えられない人はどんどん落ちていくという、篩にかけられたような状態でした。トリノオリンピックの達成感の一つに、ルールに対応しルールに打ち勝ったことが、人に勝ったことよりも嬉しかったことがあります。 これは今でもハッキリ感覚としては残ってますね。それまで、自分がこういう技、こういう組合せをすればというふうにルールに当たっていったけれど跳ね返されるという状況を、そのシーズンずっとやっていたので。今でこそどの組合せをすればレベル4、どれをすればレベル3、2というのがハッキリと出てきていますが、1から探ってどういう組合せを作らなければいけなくて、どの組合せが自分にとってできる組合せなのか、ということを探ることが一番大変な作業で模索していました。それが模索した分オリンピックで狙った通りにレベルが取れて、結果として現れた瞬間、本当に嬉しかったことを覚えています。
元川:ではオリンピック、金メダルということの結果ではなくて、今のような、過程が間違ってなかったということが確認できたことが、トリノオリンピックの金メダルの意味なんですか。
荒川:オリンピックの金メダルの意味というと、また私の中では違うところにあるんです。そこまで自分がどんな気持ちのときにも一緒に支えてついてきてくれた、周りにいてくれた人たちがいたから自分がそこまで行けたということが一番嬉しくて、それが自分の競技生活の最後に得た喜びだったんじゃないかなというふうに今でも思います。なので結果が出た瞬間よりも、最後に自分の演技のポーズをとったときに、一番安心感というか、達成感とあとはそこまで一緒についてきてくれる人がいたからこそやってこられたっていう感謝の気持ちでいっぱいでした。これが私の中で一番に残っているオリンピックの記憶です。結果は人の出来でも変わりますし、最後の結果が出るところまで辿り着いたことが一番の喜びだったと思います。