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- オリンピアンインタビュー
- 第17回 荒川静香さん
【初めて世界を知った長野オリンピック】
元川:それが本当に叶って、長野の自国開催ですごい盛り上がりだったと思うんですが、実際に出てみた初めてのオリンピックはどんなものでしたか。
荒川:オリンピックの他種目のスポーツイベントとは違い、フィギュアスケートだけが行われる大会にしか参加したことがなかったので、見るもの見るものが新しかったですし、スケールの大きさに驚いたのを覚えています。 選手村からメディアコントロールやセキュリティ、すべてのことが初めてだったので、本当に置かれている状況についていくのが精一杯。それまでフィギュアスケートの中で注目されることは増えてきたとしても、どのくらいの規模なのかということも知らないままで参加して、オリンピックという規模の大きさには驚いたのを覚えています。
元川:そういう中で13位という結果を出したんですが、それは自分の中でどのようにとらえているのですか。
荒川:シニアに移行してから世界選手権のような世界ランキングのつく大会で戦ったことがありませんでした。自分がどのあたりを目指せるのかわからないで臨まなければいけなかったので、目標としてとらえて順位をつけることはできませんでしたし、漠然と自分の持っている力を精一杯発揮したいという目標は掲げられても、どのくらいまで実際に世界で自分が戦えるかというのがわからなかった。終わったあとに13位が自分にとって今の力がそのくらいなんだ、ということがやっとわかったというか。
元川:世界を知った…世界の中の自分を知ったという感じでしょうか。
荒川:そうですね。日本の中では上位の成績を収めていたので、こんなもんでいいのかな、と思ってしまった部分も、正直なところはあったかもしれないですね。
元川:でもそれを踏まえてその後、本格的にやっていくわけですよね。
荒川:逆にオリンピックに対しては、あまりに大変すぎる…高校1年生だったということもあって、自分にとって今必要なこと、そうでないことのチョイスが難しかった。そこをコントロールする力を身につけていなかったので、言われるがままにすべてを受け入れてしまって。いっぱいいっぱいになっていましたね。オリンピックというのは大変なものなんだと感じて、もう1回経験できたから、あとは楽しくスケートを続ける環境にいきたいな、と。
元川:そういう意味では、ちょっと逆効果になったということですね。
荒川:やはり出場することが目標だったので、出場できたことで満足してしまった部分というのはありましたね。
元川:それは、2002年に2枠になったにもかかわらず出場権が取れなかったということにもつながっていくんですか? 1回目のオリンピックがあまりにも大きなものだったがゆえに…。
荒川:そうですね、真剣にもう一度オリンピックに出たいと思ったことは一度もなかったですね、2005年くらいになるまでは。
元川:そうなんですか。では、2002年に出れなかったときはもう次を目指すとかではなく。
荒川:年齢として最初に考えていたのは、2002年ぐらいがちょうど二十歳で私にとってちょうどいい年齢で迎えられるオリンピック。そこを目指そうと思っていたところが、一つ前の長野オリンピックに出られてしまったので、2002年にもし出られなかったらそれが目指す最後だなというふうに思っていました。トリノオリンピックは2006年、2004年に大学を卒業することを考えると、もうおそらくアマチュアではスケートをやっていないだろうなと思っていたので、まったく視野に入れたことがなかったですね。