選手インタビュー

渡辺武弘さん 渡辺武弘さん 卓球 1988年ソウル 1992年バルセロナ

【引退後:第2の人生】

高橋:引退を決められた時というのはいつになりますか?

渡辺:引退はええとですね、それから3年、4年後ですね。

高橋:ご自分で何かもうこれでいいっていう1つの。

渡辺:ええ、もうねえ、やっぱりオリンピック、全日本優勝して、オリンピック、ま、試合が終わって、もうだんだんそうですね。もうどっちかというと少しやめ・・、そのチーム、私、協和発酵というところのチームにいたんで、一緒のメンバーとして松下とか一緒のメンバーだったんで、まあ、彼らを逆にもっと強くさせなきゃいかんなっちゅうか。だんだんなってきましたですね。

高橋:育てるという。

渡辺:ええ、ええ。

高橋:コーチというか。

渡辺:ええ、ええ、ええ。

高橋:そうすると引退後の人生に対しての不安とかそういうものは無かったんですか?

渡辺:逆に、ええとですね。オリンピックが終わって、ま、やってたんですけども、だんだん、逆にいうと同じ会社の同期たちはバンバン仕事しているわけですよね。

高橋:ああ、そうですよね。30半ばというと、皆さん、就職して10年以上経って。

渡辺:そうでしょう?

高橋:ええ。

渡辺:逆にいうと同期会とか普段やるとみんなガンガン仕事しているわけですよね。逆にヤバイな、卓球ばっかりやってられないなって、逆にそういう思いはだんだん思ってきたんですよ。で、会社のほうも協和発酵という会社は非常に地味な会社で、地味というか卓球、スポーツクラブを会社の宣伝に使うというような発想じゃなくて、元々協和発酵の先輩が入社した時に、社員で入社して、で、卓球の試合にこう年休を取って行かれたらしいんですよ。卓球部ももちろん無くて。で、また、その選手・・方を慕っていい選手が入ってきたんで、で、だんだん会社の人事部もね、やっぱりこんないい選手が入ってきたら、それをバックアップしないといけないなというような発想で卓球部ができた卓球部だったんですよ、協和発酵というのは。その、いい選手が来たからにはバックアップするよっていうことの卓球部になって、これを宣伝に使おうという発想は全く無くて。で、会社も現役の時は一生懸命バックアップするけれども、やはり当時ではスポーツでは飯食っていけないというような、そういうまだ時代だったんで。あのう、やっぱりスポーツ長くやっていると仕事も遅れるんで、ある程度見切りつけたらもう直ぐ仕事入ってくれと、それで将来、逆に遅れた分を早く取り戻さないと社会人としては大変だよって言うことで。結構そこらへんもメリハリしっかりつけてる会社だったんですね。僕も、まあもう十分卓球やったこともあって、だからその同期とか皆から早く仕事ちゃんとやらないとまずいんだな、だんだんすごいそういう気持ちがこう出てきたんですね。で、だから34の時にもう。その34の2年ぐらい手前は2年間、監督兼選手でやってたんですけども。で、まあ、その引退と同時に仕事一本に入ったっていう感じで。いやこのあと仕事早く覚えて頑張らなきゃいけないなっていうふうには思って。卓球としては全然未練は無かったですよ、その段階では。

高橋:あ、そうですか。そのまま卓球を教えて行きたいということは無かったんですか?

渡辺:その時は思わなかった。逆にもうずうっと選手生活長かったんで、ちょっとホッとしたなという感じはありました。

高橋:ああそうなんですか?

渡辺:うーん、やっぱり。で、自分としてはもうやり終え、まあやり終えたかなと、まず燃焼したなという、そういう満足感もあったんで、逆に自分は仕事でもやっぱりまず頑張れて、評価されるというか、あいつ卓球しかできなかったなと思われるの嫌だったんで、仕事もちゃんと覚えて一人前にできないといけないという。そっちもすごく段々思えてきてましてですね。当時は。

高橋:第二の人生ですね?

渡辺:ええ。

高橋:今までは中学の時から卓球が生活の主だったし、たぶんご自分の目標も卓球だったと思うんですけど、卓球を引退されて同じ協和発酵という会社にいたにしてももう自分のポジションとかあるいは期待されるものが違ってきますよね?

渡辺:はい。

高橋:そこから覚えて行かなければいけないというのは、想像するとすごく大変。

渡辺:結構大変だったんですよね。

高橋:すごい大変だと思いますけど。やっぱり普通に学校を出て、大学も普通に行って、で、22、3で就職されて、そこから仕事を覚えられていくのと違って34にして突然そのう…何となくその中学ぐらいからポーンとワープして、いきなり34で、この社会の大人になれって言われているような、何かそういうイメージがあるんですけど。

渡辺:いやー、でもその通りなんですよ。

高橋:別の世界だから。

渡辺:ずっとスポーツをやっていていきなり社会人になるとね、本当にもうギャップが激しいんですよ。

高橋:ですよね。同じ日本の社会であって同じようにスポーツの世界と、会社の世界も縦型であったりとか、同じようなものだとは思うんですけれども、それにしてもやっぱり価値観なり、その期待されるものなりが、全然違うと思うんですよね。で、今まで例えばすごく優雅にスイスイと泳いでこられたのが全然違う所にポンと何か放り込まれてしまったような、私はそういうイメージがあるんですが。

渡辺:正にその通りですよ。本当に。で、僕その、お酒の部門の内勤、現役だったんで、やっぱり営業とかになると、その、試合できないということで、ずっとお酒部門の内勤だったんですね、本社の。で、まあ、現役引退して、で、お酒部門にいたんで、じゃ、営業、現場を知らないと営業って、お酒部門は大変だよっていうこともあって、会社の配慮で「渡辺、営業出ろ」と。「現場を見て来い」ということで、まあなったみたいで。で、なおかつ、これは本当かどうか分かりませんけど、どっちかと言うと、当時東京にいたんですけども、営業、東京よりも地方の方が少し優しいからというか、やっぱり。東京もうスピードも速いです、何でもね。ま、地方の方から営業出ろっていうんで、勉強して来いと。敢てまあ、だから僕営業に出たのは北海道で、まあ、営業をマスターしろということで。で、実際もう営業って34ぐらいになるともうベテランみたいに当然見られちゃうんですね。

高橋:そうですよね。

渡辺:私はまあ新人なんですけどね。

高橋:お得意さんからしてみればもう。

渡辺:そういうような配慮があって、地方の方がちょっとやりやすいよっていうことで。で、北海道に転勤になったんですよね。で、私北海道の中の富良野ってありますでしょう?

高橋:はい。

渡辺:あの近隣、空知地区っていうんですけど、空知っていうんですけど。一番人が少ない所なんですよ、あの周りで。北海道の真ん中はですね。で、昔探鉱が栄えた所で非常にそのころはものすごく焼酎とかお酒売れていたんですけど、人もいたんですけど。探鉱が無くなって人が非常に少なく、過疎地になってるんですよ。で、さっき言った、ね、営業の仕事になったんですけど。で、札幌に住まい、事務所もあって住んでたんでけども、その地区はちょっと車で2、3時間かかるんで、泊りで出張に行くんですね。ホテルに泊ってそっちのエリアを営業で回るんですけど。やはりね、いろいろ社会人になってやっぱりいろんな、ドロドロさも見えてきたり、騙されたり、変な話。騙されるというか、まあ、やっぱりこっちはもう本当スポーツしかやってなかったんで、まあ、営業等も上手くできないし、仕組みもやっぱり分からなくて。ま、本当にチョンボしたりね。向うは何かこう前任者はこういうふうにやってたからやってよって言ったから、はいって返事したら、一切約束したこと無いよとかですね。いろんなそういうことをものすごく見せ付けられて、何度か泣きましたね。その時泊っていて、夜になったらその街なんて、飲食店飲み歩くんですよ。得意先に。で、夜空を見ながら「俺なんで、何年、ここにいるんだろう」と泣きました。北海道のど田舎で夜空を見ながら、何でここに、何しているんだろうって。何回もね、正直言って。思いました。

高橋:ああ、涙でちゃいますね。

渡辺:全然別の世界なんで。仕事、最初うまくいかないですから。

高橋:誰か教えてくれる人っていないんですか?一緒にこう回ってくれたり。

渡辺:いや、最初はね1ヶ月ぐらい回ってくれるんですけど、後はバンって投げ出されて。皆そうですよね、あんまり一緒にずっといたら甘えちゃうんで。後はもう自分でいろいろ失敗とかしながらっていうことになるんですよね。うん。で、最初はやっぱりすごく。うーん。本当にスポーツの世界とは全く違って。

高橋:そうですね、きっと。

渡辺:ええ、ええ。すごくだからそういうショックはものすごく受けましたですね。

高橋:たぶん今までってもうオリンピックに出られるような方だから、わりと周りの方がいろいろしてくださって、ご自分は卓球に専念すればっていうとこがあったのかもしれないですけど。今度は営業なんか特にご自分で何もかも、お客様のためにしなければいけないわけですから、それは本当に理不尽なことも。

渡辺:最初は思いましたね、本当に。

高橋:ねえ、たぶんたくさん。

渡辺:そん時は。

高橋:その時、でもほかの事をやりたいとか、お仕事ね。これじゃなくて別のことを転職というか、あるいはやっぱり卓球の方に戻りたいとか、あるいは例えば先生をやられるとか、そういうことを思わなかったですか?

渡辺:いや、毎日思ってました。毎日思ってました。やっぱり失敗したなって。失敗したなって。実際まあ、変な話ちょっと誘われた所もあったんですよね。

高橋:あ、それはそうですよね。

渡辺:でも何かさっき言った、やっぱりその同期を見て、イヤーこいつらに負けたくないなってっていうか、変な意味で、みんな仕事バリバリやっているし、自分も卓球馬鹿って言われたくないしなあ。卓球以外仕事の面でも渡辺良くやっているんだって、変な話、そういうふうに思われたいなって、まず、そっちの意識がその当時は強くて。仕事もちゃんと覚えて一人前になりたいなっていう気持ちがやっぱり強かったんですよね。変に。だから変な意味でだから、卓球もある程度できたんで、仕事も直ぐ上手くできるだろうって、変に、だから自信過剰なところがあったみたいで、自分では。

高橋:あ、でもそれは。

渡辺:世間知らずだったんで。

高橋:やっぱり一つのことをそれだけやれるっていうことは、ほかの事をやったってできるだろうって。で、オリンピックに比べれば、営業なんてたいしたことは無いだろうっていう、でも、まあ、そういうのありますよね。

渡辺:そう、うん。そんな、近いですよね。できるだろうって変に勘ぐってました。実際の世の中そんなに甘くなかった。

高橋:いやいや、それはご自身がそれだけ努力をされて一つのものを確立されていらっしゃるから、他の事だって真面目にやればできるだろうっていうふうに思うのはやっぱり。でも今度は対人間ですし、いろんな方が、それこそ有象無象の。

渡辺:関わりあって来るんですね。いろいろ。

高橋:そうですよね。やっぱり社会っていうのはなかなか思うようには。ご自分が真面目にやっててもそういうふうにはいかない場合もあるし。でもお辞めにならないで今までちゃんと続けて。

渡辺:で、まあ、そうですね。で、ずっとそういう経験しながら。そうですね、やはり辞めなかったですね。

高橋:辞めなかったのはどうしてですか?仕事が段々。

渡辺:いや、やっぱりそれはさっき言った、自分から仕事の道を選んだのにやっぱり辞めるのはちょっと格好悪いなって思ったんですかね。

高橋:でも、協和発酵さんに対する何か恩返しというか。

渡辺:あ、それはあります、そうですね。

高橋:ありますよね。やっぱり。それだけ。

渡辺:そうですね。協和ってすごいいい会社で、アサヒも良いんですけど、協和もものすごくすごく良い会社で、卓球でものすごくやっぱり育ててもらったってあるんで。

高橋:そこでポンと辞めるわけにはなかなかいかないですよね。

渡辺:そうです。はい。ええ。後みんなやっぱり気にしてくれてましたんで。辞めるとはさすがに言えなかったですしね。

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