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- オリンピアンインタビュー
- 第9回 小掛照二さん
【オリンピック招致への決意】
高橋:2月に行われた東京マラソンは、東京オリンピックの招致につながる一つと考えてよろしいのですね。
小掛:僕は組織委員会の副会長もやっていますし、最初に言ったのは、マラソンを「東京の顔にしなければいけない」ということです。2012年のロンドンオリンピックが、有力と言われたパリに勝てた鍵はロンドンマラソンなのです。ロンドンマラソンは世界一と言われていて、これが大きくロンドンの招致に貢献したと聞いておりますから、東京マラソンを何としても成功させなければいけない。それには時期とか、コースとかということももっと考えなければいけないのです。日本で一番いいのは秋ですよ。そして、やるからには経済効果も大きくなければいけないし、2月では世界から観光客も集まりません。東京の顔にしなければいけないのです。これからは世界に、「東京のマラソンは素晴らしいよ」、「あそこは世界記録も出るチャンスがあるよ」と思ってもらわなければ。
高橋:でも、大成功のように見えたのですが。
小掛:それは3万人が走りましたし、ほとんど完走でしょう。走った選手は銀座を2回も走れて、浅草も走れて喜んだでしょうが、私たちはやはりオリンピックや世界陸上で戦うマラソン選手をつくらなければいけないのです。それには、あのコースでは世界記録が出るようなコースではない。世界のランナーから「よし、東京に行ってやろうか」と言われるようなコースにしないと、将来、成功はしないと思っています。
高橋:日本の中の東京マラソンではなくて、世界からもみんなが東京マラソンに行くぞと言われるような大会ということですね。
小掛:そうです。それから、世界の多くの市民ランナーにもです。その人たちが、一番いい時期の東京マラソンに行ってみたいと思うのではないですか。
高橋:それがオリンピックの招致にも実績となっていくと。
小掛:そうです。2009年ですね。
高橋:ここまでお伺いしてきて、本当にご自身の人生をすべて陸上に捧げられて、これからも東京オリンピック招致や子供たちの育成、もっと市民レベルでの陸上を盛り上げていくということもあるでしょうが、その原動力というのはどこから来るのでしょうか。
小掛:僕はオリンピックで戦ったり、今回の東京マラソンを企画してみたり、いろいろやってきました。東京マラソンのあと、走るランナーが増えてきているのですね。東京陸上競技協会の会長をしているのですが、「どうすれば東京マラソンに出られるのでしょうか」という電話もあるのです。だから私は、そういうランナーを指導するようなクラブを作りたいと言っているのです。それともう一つは東京オリンピック招致を考えて、開催が東京なのだから、東京から選手を出そうということで去年から始めたのですが、国立競技場で秋に「だれでもスプリンター」という名称で、申し込めば誰でも100mを電気時計で測って記録証を渡しています。やはり陸上に興味を持たせることも考えなければいけないし、また東京オリンピックに東京から選手を出すために育てなければいけない。ちょうどその対象になるのが小学校の高学年なのです。クラブづくりは、東京マラソンの一般ランナーに対する指導をやっていこうと思っています。そういう中でいい素材といいますか、才能のある選手が出てくるのではないですか。
高橋:小掛さんは「陸上ファミリー」というお言葉を使われると思うのですけれども、その「陸上ファミリー」というのは具体的にどういうことですか。
小掛:今、陸上の登録は本当に専門にやっている人だけなのですが、未登録の愛好者が大変な数いると思うのです。ですから、市民マラソンの皆さんとかその子供たちで、陸上界のファミリーを増やすべきだと思うのです。普通は登録料が3,000円ですが、1,000円くらいにして、年に2回くらい競技会や記録会を開催して記録を測ってあげるとか。そして、ファミリー登録をしている皆さんには、国立競技場で開催されている競技会に特別招待するとか、そういう陸上のファミリーをつくっていこうと言っているのです。
高橋:オリンピック選手とか、本当にプロフェッショナルなかたばかりではなく、陸上に関心のあるかた、あるいは市民マラソンに参加されるかたは皆さんがファミリーであって、そんなファミリーを増やしていこうということですね。
小掛:そう。それがこれからは大事なことだと思います。
高橋:たくさんのお話しを聞かせていただき、ありがとうございました。
(インタビュアー:立教大学准教授 高橋利枝氏 / 編集:体育施設出版 五味亜矢子)
ゲストプロフィール
- 小掛 照二(こがけ てるじ)
- 1932年生まれ。広島県出身。日本オリンピアンズ協会副会長、日本オリンピック委員会名誉委員、日本陸上競技連盟名誉副会長、東京陸上競技協会会長。三段跳びで1956年に16m48㎝の世界記録を樹立、同年開催のメルボルン大会に出場。引退後は1962年に日本陸上競技連盟の強化コーチに就任。日本オリンピック委員会の独立にも尽力し、選手の育成・強化に努めた。現在も東京陸上競技協会の会長として、「東京マラソン」の準備・運営にあたるなど日本陸上界の活性化に力を注いでいる。40年以上の長きに渡る選手強化実績から、2005年旭日中綬章、国際オリンピック委員会のオリンピックオーダーなどを受賞している。
【インタビュアー : 高橋利枝(立教大学准教授)】
立教大学社会学部准教授。お茶の水女子大学理学部数学科卒業、東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程を経て、英国ロンドン大学大学院博士課程修了。社会学博士(メディア・コミュニケーション学)。順天堂大学専任講師を経て、2006年より現職。