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- オリンピアンインタビュー
- 第7回 河野孝典さん
【叶った夢の後の反省と課題】
高橋:今とこれからの夢をお聞きしたいのですが。今の立場はノルディックの…
河野:JOCの専任コーチです。
高橋:ノルディック・スキー複合の日本チームのヘッドコーチ。非常に重要なポストにあるということですね。先ほどオリンピックで、指導者としてはまだ夢が叶っていないとおっしゃっていて、今、非常に重要なポストに付かれている。これからの夢は何でしょう?
河野:2007年に世界選手権が、しかも札幌であるんですよ。だから、そこでメダルを獲る。それから、どの競技でもそうだと思うんですが、野球やサッカーなど一部のスポーツ除いて競技人口が減っていて、コンバインドも一緒です。その競技人口をどれだけ確保するか、パイを大きく保てるかというのは大事なポイントだと思っています。そうしないと、日本でノルディック複合がなくなるんじゃないかと言われています。
高橋:そうですか。そのためには広報活動もしないといけないですね、結果を出すということは重要でしょうけれど。
河野:そうですね。コンバインドの場合、やっている選手数がものすごく少なくて、今はやる子供がいなくなってきている都道府県が出て来ているんですよ。そういうところで、如何にコンバインドをやってくれる子供たちの数を増やせるか。中にはすごく健闘している県もあって、秋田県と長野県は頑張ってるんですよ。当時に比べれば人口、もしくは小学校の数をみても半分になってるんだから、やっている子が半分になってもおかしくない中で、確かに少なくはなっているけれども、当時に比べて1割、2割しか落ちてないという感じで。そういうところにモデルになってもらって、他の県でも競技人口を増やせたらいいなと思います。
高橋:具体的に何か秘策みたいなものはあるんですか?
河野:いえ。ただ、今考えているのは夢ですけれども、基金を作りたいんです。道具にお金がかかるスポーツなんですよ。スキー、靴、スーツ、ヘルメット、防具、手袋、それからクロスカントリーのスキー、靴、ポール、スーツとか全部揃えると40万くらいはかかるんじゃないですかね。だから基金を作って、運用して、運用益でできるだけ用具にお金がかからないようにするとか、そういった形で地域のサポートが出来ればいいなと思っています。あとは、荻原先生に頑張っていただく。
高橋:そうですね。広報活動も大事ですし、荻原さんは議員の先生ですからね。
河野:どのスポーツも企業がドンドン離れちゃって、コンバインドでは支援してくれる企業がないんですよね。マイナーなスポーツは厳しいでしょうね、企業にとってのメリットを考えると。
高橋:メディアの扱いという点でお聞きしたいのですが、アルベールビルの団体で金メダルを獲られた時に、例えばフェイスペインティングとか、カメラに向かって舌を出すとか、表彰式でシャンパンを開けたりとかされて、新人類とかニューエイジとか言われてかなり話題になったと思うんですけど。
河野:それは全部、健司と三ケ田さんがやったことです。僕は隣にいただけです。
高橋:これは荻原健司さんに伺ったんですけど、マスコミにすごく追いかけられて、それでちょっとアイデンティティ・クライシスっていうか、もう外に出るのも嫌っていう時期があったそうなのですが、それはありましたか?全く扱いが変わりましたよね。
河野:それをどういうふうに受け止めるかだと思うんですけれど、僕はそんなにマスコミに出たほうじゃないですから。
高橋:出るのは嫌だったんですか?騒がれたりするのはどう思いました?
河野:そうですね。例えば具体的な話をすると、一度24時間テレビが東京であったので合宿中に東京に出て来たんですが、一日潰れるわけですよ。僕は練習命のタイプだったから、そういうのが嫌だったんです。自分のリズムが崩れるのが嫌だったから。
高橋:マスコミに対する憤りみたいなものはないですか?
河野:ないです。上手くやらないといけないとは思いますよ。マスコミの方に取り上げてもらって、競技をいろんな場面で出してもらえれば、それに触れてもしかしたら将来コンバインドをやってくれる子が出てくるかもしれないし、そういった意味で上手くやらなきゃいけない。ただ、使い捨てカイロじゃないよっていうのだけは理解してもらいたいですね。
高橋:なるほど。ところで、スポーツを通じた世界平和とか国際友好親善とか、スポーツの振興について実行していることとか、またこれから自分が出来ることとしてどのようなことを考えておられますか。
河野:まず国内では、スポーツの普及だと思うんですよ。さっき話したことですね。もうちょっと実現したいなと思っています。視野は狭いかもしれないですけれど、でもそれも自分がやってきたことなので、それを土台にしてやりたいと思っています。
高橋:ルール改正のお話しがあったじゃないですか。日本人がジャンプがすごく強いので、板の長さの基準を変えられたとかアンフェアなイメージがあったんですが、そういう決定権はどうなっているのかしら。
河野:いろんなアイデアが土俵に上がって、それを議論したうえで決めるわけですね。
高橋:やはりメダルを獲ろうとするならば、日本に不利なルールとを何とかしていかないといけないということはないんですか?
河野:それはありますよ。試合を全部持ってくるとかね。ヨーロッパでずっと試合をしてるというのは、やはり不利なわけですよ。でも日本では、費用が高くて出来ないですね。でも、スポーツを一生懸命やっていることが世界平和につながるんじゃないですか。
高橋:なるほど。最後に、オリンピアンとして、自分はオリンピアンだという意識はありますか?
河野:時に思います。何気ない時なんですけど。例えば、息子と娘が小学生なんですけれど、息子の同級生とか娘の同級生のお父さんとかに、元オリンピック選手だからというようなことで「河野さんとは話をしづらい」と言われているような話を聞いたことはあるんです。普通に話してくくれればいいのにと思ってはいるんですけれど、そんな時にオリンピックっていうのはちょっと特別なものかなとは思ったりしますね。
高橋:今のお仕事も、オリンピックに関わりがありますからね。
河野:そうですね。
高橋:ありがとうございました。
(インタビュアー:立教大学助教授 高橋利枝氏 / 編集:体育施設出版 五味亜矢子)
ゲストプロフィール
- 河野 孝典(こうの たかのり)
- 1969年3月7日生まれ。長野県出身。日本オリンピアンズ協会理事、日本オリンピック委員会専任コーチ。スキーと温泉の町・野沢温泉村に生まれ、幼少時代からスキーに親しむ。小学4年生からジャンプ、中学時代から複合競技を始め、1992年アルベールビル大会で複合団体初の金メダルを獲得、続く1994年リレハンメル大会では団体2連覇に加え、個人でも銀メダルを獲得した。地元で開催された1998年長野大会では聖火ランナー及び選手村副村長を務め、1999年には全日本複合ジュニアコーチに就任。現在はヘッドコーチとなり、後進の指導に尽力している。