選手インタビュー

河野孝典さん 河野孝典さん スキー(ノルディック複合) 1992年アルベールビル 1994年リレハンメル

【スキー人生にとって大きな出会い】

高橋:海外に最初に行ったのはいつですか?

河野:高校3年のチームで、ジュニア世界選手権という大会でイタリアに行きました。荻原健司も一緒です。

高橋:初めて行かれたイタリアでの印象はどうでしたか?

河野:僕は良い思い出があります。結果がよかったんですよ。

高橋:それは素晴らしいですね。初めて海外に行ったことがターニングポイントになることって結構あるんですよね。

河野:良い結果が出たのであまり多くのものは学んでないんですけど、自信にはなりました。自信になったから、そのシーズンは日本に帰ってからも結果が良かったんです。初めて行ってそんな結果が出たから。でも、結果言っていいですか?すいません、16位です。

高橋:でも、初めて外国に行かれて、萎縮したりとか、日本と世界の差を感じたとかそういうことが無かったんですか?

河野:一緒に行ったメンバーが荻原健司と次晴ですよ。リラックスさせてもらえますよ(笑)。大事だったのは僕は16位だったんですが、その時15位に入ったノルウェーの選手と仲良くなったんです。最後にゴール前で抜かれたんですが、そのB.J.エルデンという選手と知り合ったっていうのは僕にとってすごく大きな鍵を握ることでした。翌年、大学1年でもう一回ジュニア選手権に行ったんですね。で、その彼も来ていたんです。最初に行った87年は彼が15位、僕が16位。2年目、88年は彼が3位。

高橋:すごい。

河野:僕が39位。

高橋:えっ。でも、お友達は…

河野:何だよ、去年1つしか順位違わないのに、今年は何でそんなに差が出たんだろうと思いましたね。試合が終わってからディスコのある所に行ったら彼も来て、何か必要かも知れないから住所だけでも聞いておこうと思って聞いて、財布の中に入れておいたんですよ。翌年、新聞を見ていたら「ワールドカップ優勝」って彼の名前が出ていたんです。それから、世界選手権団体戦の優勝メンバーになった。僕は世界選手権のメンバーに選ばれませんでした。この2年間を考えた時、これは何か違いがあるはずだと思ったんですよ。そこが僕のスキー人生の鍵を握っています。

高橋:鍵も教えてください。

河野:その2年間で随分な違いじゃないですか。だから、ノルウェーっていう伝統国はいつも特別なことをやっているのかなと思って、シーズンが終わってから、「自分は1週間こんな練習をやっているんだけど、どんなことをやってるの?」っていう感じで大学の友達に英語で手紙を書いてもらって出したら返事が返って来て。「俺はこんなことやってるよ」って。

高橋:ちゃんと教えてくれるんですね。

河野:はい。ちょっと違うんだなと思いながら、それを真似てやってみたんですよ。それが大学2年の時。でも結果は良くなくて、3年の時には紙に書いた練習計画だけじゃなくて実際に一緒にやってみたほうが良いだろうと思って、バイトして、また手紙を書いて、「ホームステイさせてくれ」と。大学3年の夏休みに3週間。ノルウェーに行きました。

高橋:夏休みって、ノルウェーは雪はあるんですか?

河野:ありません。陸上トレーニングです。

高橋:それでもいいんですか?素人からすると、一緒に滑るとか一緒に飛ぶとか、そういうことをしないと意味がないのかなと思っちゃうんですけれど。

河野:それももちろん大事なことですけど、スキー競技の練習は完全に雪がある時と雪がない時にわかれるんですよ。雪がない時は練習してないかというとそんなことはなくて、その練習期間というのが6カ月くらいなんです。だからそこで何をやるか、どれだけやるかっていうのが、冬のシーズンにもろに跳ね返ってくるんですよ。

高橋:私のイメージでは、雪のない時は雪を求めて、世界を歩いているっていうイメージがあったんですけど。

河野:それは猪谷(千春)さんです。

高橋:そうでした。その夏休みの3週間、ホームステイをして、一緒にトレーニングをして、それがそんなに大きく飛躍的に変わることになったんですね。

河野:はい。そこまでの自分が甘かったんですね。姿勢っていうか、スキーを生活のどういう部分に位置づけているかっていう、そういうのをもろに見た。生活の中心にトレーニングがあるからすごく規則正しい生活をする。彼らはもうプロだったんですよね。だからスキーに対する姿勢が違う。当時のノルウェーは世界で1位だったし、日本は世界で10番くらいだったんですよ。チームとしての伝統もなかったし、目標も違った。ずっと日本という環境の中で育ってきた自分としては、ノルウェーという伝統国で、何人もオリンピックとか世界選手権のチャンピオンを出してきた所が何をどんなふうにやっているのかが見えなかったわけですけど、自分でそこに行ってみたら、やってる内容というか、どれだけ真剣にやっているかなんだな、と。

【“ノルウェー後”の飛躍】

高橋:確かにそういう、肌で感じるものはあるだろうなと思います。自分が飛び込んでみないといくら同じトレーニングメニューを使っても、何か違うんでしょうね。スキーだけじゃなくてスキーの文化みたいなものを理解して。でも、その3週間でそれだけ変わったというのはすごいと思います。16位から39位に落ちたその後、3週間のホームステイをして、それからものすごい活躍をされているじゃないですか。

河野:ノルウェーに行ったのは89年の夏で、その後日本で3番目くらいになったので、シニアの中でも特別強化チームみたいなところに入れていただきました。そこに付いたコーチが斉藤コーチと早坂コーチという、ジャンプの専門とクロスカントリーの専門という形でした。早坂さんという方がスキーの選手としてすごい経歴を持っている人で、その人がチームの練習計画を立て始めたんですよ。彼は海外の選手たちが練習する場所を良く知っていて、僕らもそういうところに連れて行ってくれたんです。そうすると、普段大会でしか会わないような連中が普通に練習してるんですよ。練習を一緒にすれば連中がどういうことをやっているのか肌で感じられるし、見れますよね。狙いは、他の連中も大して変わったことをやっているわけじゃないんだから、お前らも自信を持ってやれということだったんです。

高橋:こんなすごいことをやっているんだから、お前たちもやれということなのかなと思ったら、そうじゃなくて。

河野:お前らのやってることは正しいと。そんなに他の連中と変わってないんだから、自信を持ってやれということでした。

高橋:それは結果的にご自分の自信につながりましたか?そういう選手たちを見て、自分たちと同じだって言う意識ですね、きっと。トレーニングと同時に、例えば、世界的な戦いになった時に外国の選手は身体も大きいし何か自分たちと違うと言う感じがして、萎縮してしまうイメージがあったんですけど、一緒に練習する機会があると、外国人じゃなくて一スキー選手として見えるようになれば、特にオリンピックに出られた時などは萎縮しないでやれるのかなと思ったんですけど。

河野:海外に行けば行くほどそういうことは大事ですよね。大事というか、感じるようになってきます。そのコーチが最初のオリンピックの時に皆に言った言葉は、「出ている連中の顔ぶれを見てみろ。いつもワールドカップでやっている連中と同じ顔だろう」と、だから緊張する必要ないんだという話をしてくれたんですね。正しくその通りです。僕らの試合っていうのは、オリンピックでは普段戦わない連中と試合するわけじゃないんですよ。11月の終わりからシーズンが始まって、3月中旬まで毎週末試合がある。その中にオリンピックがあるだけで、強い連中はワールドカップにずっと出ているんですよ。だから、常に顔を合わせているやつとオリンピックでまた一緒にやるという感じです。普段競っていれば、オリンピックでも普段通りやれば競り合いになるだろうという感じ。

高橋:そうですよね。そうすると、オリンピックってそんなに特別なものじゃないんですか?

河野:競技として考えれば、特別ではないですね。

高橋:ご自身はどうでした、最初のオリンピックに出られた時。

河野:いや、特別です

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