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- オリンピアンインタビュー
- 第13回 野口みずきさん
【陸上競技との出会い】
高橋:お生まれになったのが1978年7月3日、現在29歳。三重県伊勢市生まれということですね。まず陸上を始められたきっかけをお話いただけますか?
野口:中学時代に友人に誘われて陸上を始めたのが、きっかけです。
高橋:それまでは例えば小さいときから走るのが好きとか、他の競技でもかまわないのですが、興味はなかったのですか?
野口:走るのは嫌いなほうではなかったので、運動会の100m走で、結構1番とか2番になりましたが、別にそこまで好きとは思っていなかったです。
高橋:小学校のときに、何か得意な種目はありましたか?
野口:特にはなかったですが、球技が好きでした。
高橋:ちょっと意外ですが、水泳を習っていたということはないですか。
野口:ないです。泳げません。
高橋:ごくごく普通のお子さんと同じように、小学校までは育ってきたのですね。
野口:小学校までは。
高橋:中学になって友達に誘われて、陸上部にお入りになったそうですが、そこで頭角を現したのですか?
野口:いえ、頭角は現していないですよ、全然。市内では上の方だったと思いますが、県では8番くらいで、そんなにパッとしませんでした。でも高校の先生が見てくれていて宇治山田商業高校に誘われたという感じです。
高橋:推薦で。やっぱり頭角を現していらっしゃったんじゃないですか。高校で何か、ワコールにお入りになる目立ったきっかけなどあったら教えていただきたいのですが。
野口:高校3年生の時にワコールの真木和選手が、確か名古屋で初マラソンだったと思うのですが、走っているのをテレビで見て刺激を受け、憧れました。ワコール以外にも話は来ていたのですが、憧れの先輩がいるところで走りたいなと思って。
高橋:やっぱり高校のときも、いろいろとお誘いがあったわけですね。
野口:高校のときは、全国インターハイに出ても予選落ちみたいな選手でした。県では1番、東海地区大会でも5番ぐらいで、全国で戦えるレベルではなかったのですが…。
高橋:でもワコールに行きたいという希望が叶って、そのまま行かれたわけですね。小さい頃の夢は何でしたか?
野口:小さい頃の夢は、今の競技や仕事に結びついていなくて、何か絵を描くとか、色が好きなのでヘアメークアーティストとかです。
高橋:そうなんですか。意外ですね。
野口:漠然とですが。
高橋:小さいときに凄く印象に残っていることはありませんか。例えば陸上とかオリンピック、全く違うものでも構いません。
野口:そうですね…。
高橋:特にないですか?では、オリンピックを初めて知ったのは、いつですか?
野口:初めて知ったのは、バルセロナオリンピックでしょうか。
高橋:その頃は、おいくつですか?
野口:中学生ぐらいです。小学生のときは、あまり興味がなかったと思います。
高橋:中学生で、ご自分が陸上部に入って、何か興味が湧かれたのでしょうか?
野口:そうですね。少しずつ興味を持ち始めた時期だったので。
高橋:バルセロナオリンピックのときに、印象に残っているシーンや、印象に残っている選手はいますか?
野口:そのときは有森さんが印象に残っています。違う競技では、岩崎恭子さん。
高橋:同じ年代ですよね。
野口:そうです。中学生なのに金メダルを取ったからすごいと思って、見ていました。
高橋:そのとき「私もああいうふうになりたい」と思われませんでしたか?
野口:いえ、なりたいとは思ってなかったです。
高橋:私もあの場に出たいとか。
野口:出たいとは、そのときは全然思っていませんでした。
高橋:ということは、ご自分の生活と、オリンピックは全然違う世界というか…。
野口:別のものと思っていました。
高橋:中学生の頃に選手という意識はありましたか?
野口:いえ、そこまでは思っていなかったと思います。
高橋:陸上部に入って、陸上が好きでしたか?
野口:最初は練習嫌いで、さぼったりしてました。友達に誘われたような形で入ったので。
高橋:お友達がなさってたのですか。
野口:はい、やってました。仲が良かったので一緒に誘ってくれたんです。
高橋:何か陸上をやりたいというよりも、むしろお友達と一緒に遊びたいとか、一緒に居たいという感覚だったんでしょうか?
野口:2年生、3年生になるにつれて、市内の駅伝に出るようになって、だんだん好きになっていったと思います。