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- オリンピアンインタビュー
- 第29回 久保英恵さん
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途中からはお世話になった人や両親に出場することで恩返しをしたいと思うようにもなりました。トリノオリンピック大会の予選時は、自分のモチベーションもパフォーマンスも一番いい時で、自分でも自信があったし、リーダー格として引っ張らなくてはいけない責任も強く感じていたのですが、残念ながら負けてしまい、その時ばかりは今まで何をやってきたのだろうと、無力感、徒労感に襲われました。それでも目の前にある次の試合を目標に地道に階段を上ることを心がけ、努力を続けました。次のバンクーバーオリンピック大会の予選では、日本代表に呼ばれず、それでもクサらず、SEIBUプリンセス・ラビッツ三連覇を果たしそれなりに結果は出していたのですが、それでも結局代表に復帰できず、万感胸に沈めて2010年引退を決意しました。
故郷の苫小牧に戻って、知人が運営するクラブチームのコーチをしていたところ、日本アイスホッケー連盟副会長(当時)の若林仁さんが苫小牧まで会いに来てくださいました。「英(ハナ)がいないと日本は勝てないから戻って来てくれ」と。私は、ありがたいのですが、「その気はありません」と固辞し続けました。
その後、引退から一年半ぶりに現役復帰をしました。ラビッツに改めて入れてもらってのシーズン途中からの出直しでした。体力づくりからの再始動でしたが、不思議にアイスホッケーを素直に愉しむことができました。片方にはみんなの刺激になればいいという感じもありました。復帰最初の試合が全日本選手権で、その二ヵ月後には全日本に戻ることができました。心中は嬉しさと完全には戻っていないプレーへの不安とが相半ば。その後のソチオリンピック予選では得点やアシストを重ねることができ五輪出場に貢献できました。しみじみ若林さんのお声掛けに感謝し、それに応えることができてホッとしたのを覚えています。
五輪予選とは違う格上のチームや選手との戦い方を実感したソチ大会の経験を踏まえて、これから一年一年、自分をさらに鍛えて行きたいと思っています。
- 久保 英恵(くぼ はなえ)
- 1982年北海道苫小牧市生まれ。女子アイスホッケー選手。4歳で始めたアイスホッケーはフォワードとしてぐんぐん上達。中学時に日本代表入り。岩倉ペリグリン、カナダのオークビルアイス、現在のSEIBUプリンセス・ラビッツと各所属チームで活躍。三大会連続の五輪不出場後、昨年の待望のソチ大会出場の原動力となる。日本代表試合得点歴代一位。太陽生命保険勤務。