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- オリンピアンインタビュー
- 第14回 中島寛さん
【海外で感じたフェンシングの生い立ち】
高橋:そうですか。海外に初めて行かれたのはいつですか?
中島:大学4年生の、ユニバーシアードですね。
高橋:どこに行かれたんですか?
中島:ハンガリーのブダペストです。
高橋:この時初めて海外に行って何かターニングポイントになったとか、変わったとかいうことはありますか?
中島:はい。外国選手と剣を合わせるのはその時が初めてだったんですよね。もちろんオリンピックで外国選手が戦う姿は見てますけど、見てるだけでは体感的に相手の強さとか、どういうフェンシングをするのか、どういう圧力があるのかっていうのはわからないんですよ。実際に相対すと、相手の威圧感とか剣の重さとか空気とかがわかるんですよね。世界には強い選手がたくさんいるんだ。外国に行って、国際試合である程度の成果をあげなければ意味がないっていうことは、少し感じましたね。
高橋:身長が180cmと、体格的には全く変わらないんじゃないですか?
中島:いや、やっぱり2m近い選手もいますから。もちろん私より小さい選手もいますけど、体の小さい選手でも、威圧感のある選手っているんですよね。
高橋:そうなんですか。
中島:だからそういう意味で、やっぱり勉強になりましたね。日本の選手で、「怖い」って感覚はもったことがないんですけど。
高橋:それはトップでいたからじゃないんですか。
中島:マスクとか防具をつけないで実際に相手と対峙したときの言いようのない威圧感というか恐怖感というか、そういうものが初めて外国選手と戦った時にチラッとあったんですね。
高橋:その時は、すぐ慣れました?
中島:すぐ慣れました。最初のパッとこう、開始した時だけですね。あとはもう全然、普通に。相手が強いとか弱いとかっていうのはわかりましたけど。そういった空気はその時初めてで、その後は何もなかったですけどね。
高橋:でもそれはいい経験でしたね。
中島:結局はフェンシングの生い立ちっていったものをチラッと感じたんですよね。
高橋:なるほど、そうですよね。それはやっぱり日本と違う伝統とか、社会と文化の中に根ざして、生まれてきているわけですから。
中島:外国の選手にはずっと受け継がれた伝統みたいなものがあるんでしょうね。
高橋:その後例えば留学とか、向こうでやろうとか思われなかったんでしょうか?
中島:それが一切なかったです。話はあったんですよ、「外国行ってやらないと強くならない」とかね。自分でも客観的にはわかったんですけど。そのユニバーシアードでハンガリーに行った時に、空港から街中に入って表をみた瞬間ホームシックになっちゃったんですよ。それで試合までに4日か5日あったんですけど、練習が1回もできなかったんです。何か、外に行くのがいやんなっちゃった。
高橋:(笑)
中島:1回はハンガリーの地元のフェンシングクラブに行ったんですよ。でも、もう次の日から表に出るの嫌になっちゃったんですよ。
高橋:では、練習は全然されなかったんですか?
中島:それから3日間くらい全然練習してません。ぶっつけ本番ですよ。
高橋:本番は大丈夫だったんですか?
中島:本番は大丈夫でした。一応、私が一番良い成績だったんですけれども。
高橋:信じられないですね! すごい!
中島:最初の遠征の時は、そういうホームシックがすっごく強かったですね。それで、もう二度と外国には行きたくないと。
高橋:日本食とか食べられないんですか?
中島:食べられなかったですねえ。
高橋:作ってくれる人とかいないんですか?
中島:いませんでした。選手村に入って、ホテルの食事だったんですけど、それもあったんですよね。わがままで、スポーツマンの風上にも置けない奴だったんで、私は。
高橋:いえいえ。
中島:本当はどこの食事でもどこの空気でも慣れなきゃいけないんですけどね。後半いくらか慣れてきましたけどね。最初の遠征の時は全くダメで、半分病人みたいな状態の遠征だったような気がします。
高橋:その後の海外に行かれた経験というのは。そうすると、もうオリンピックになってしまうんですか?
中島:いえいえ。世界選手権には何度か行きました。
高橋:その時はもう、ホームシックは大丈夫なんですか?
中島:だいぶ良くなって、ホームシックにかかることはなかったですね。
高橋:長い間、例えば留学とか、何ヶ月間いるとかだとどうでしょう?
中島:それは僕はだめですね。無理でしたね。
高橋:なるほど。
中島:僕は、スポーツは環境じゃなくて、自分がどのくらいやったかっていう自信が結果に反映されるっていう哲学があるんですよ。だから別に外国に行っても、日本でも自分で質を高めればいいんだっていう気持ちが強かったんですよ。
高橋:そうですよね。
中島:はい。だから自分で十分準備ができるという自信もあったんで外国に行くっていうのは断っていたんです。