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【近況報告】オリンピック50周年の旅・ローマ、ナポリ ヨットオリンピアン 穂積 八洲雄さん

  • ベスビオ山の見えるクラブハーバー

    ベスビオ山の見えるクラブハーバー

  • 朝焼けのナポリ

    朝焼けのナポリ

  • スウェーデンの選手ヨラン・アンダーソンと

    スウェーデンの選手ヨラン・アンダーソンと
    1960年9月2日、ナポリ

  • 現在のクラブ、親切に案内してくれたメンバーと

    現在のクラブ、親切に案内してくれたメンバーと

1960年9月2日、24才の誕生日をローマ大会ヨット競技場のナポリで迎えた私は、50年後の今年、年に一度は行かねばならないフランスへの旅行の足をのばして、誕生日を古戦場で迎えようと計画を立てていました。
それが直前になって、ローマでのオリンピック記念式典の招待状が届きました。スケジュール変更は大変でしたが何とか間に合わすことができました。

式典はカンピドリオの丘の市庁舎前で行われ、当時の聖火ランナーの点火あり、金メダリストのスピーチあり、とそれなりに楽しいものでしたが、どうも本当の狙いはローマ市の2020年オリンピック立候補旗揚げの景気づけにあったらしく、東京招致に絡んでいる身としてはいささか居心地の悪い思いもいたしました。
ローマ大会の選手の参加は50数名、日本からは漕艇エイトのキャプテンだった千葉建郎さんが来ておられました。

そしてナポリ。
日本の選手村だった小さなホテルはすでになく、通勤客に揉まれながら、毎朝4キロ程はなれたハーバーに通った市電も廃線になっていました。
記憶にあるハーバーは簡素なヨットクラブでしたが、訪ね当てたクラブの立派な玄関には、若く屈強な守衛が立っていました。ところが英語もフランス語も通じません。たまたま持っていた当時の写真を示して、オリンピックが行われた時の選手だったことを分かってもらおうとしたのですが、怪訝な顔をするばかりでした。そこに英語を話すメンバーが通りかかり、思わぬ歓迎を受けることになりました。

ポシリポ水上スポーツクラブは、50年の間に見違えるような豪華なクラブになっていました。ナポリの上流階級の社交クラブという役割も担っているのでしょう。いかにも裕福な、と見える恰幅のよい男女がたくさん日光浴を楽しんでいました。
日曜日だったせいか、クラブの主だったメンバーが次々やってきてあたたかく迎えてくれました。半世紀前の歴史がひょっこり、目の前に現れたという感じだったのかもしれません。
会長は、創立1925年のクラブの歴史をまとめた立派な本に「50年前のポシリポクラブを懐かしく思い出してくださったことに感謝しつつ。」と書いて贈ってくれました。

実はこの日、8月29日はローマ大会の第一レースの日でした。旅行計画を立てる前は、丁度50年後のその場に立ったら、どんな思い出が湧き上がってくるだろうかと考えていました。
しかし、蘇ってくるのは、おぼろげな、断片的な記憶ばかりでした。
ハーバーも、クラブも、まったく面影を一新していました。そして何よりも、自分自身が変わっていることを痛感しないわけにはいきませんでした。
変わらぬのは、空と、海と、風、ばかりでした。

【プロフィール】
穂積 八洲雄(ほづみ やすお)
ヨット 第17回オリンピック夏季競技大会(ローマ大会/1960) 出場