選手インタビュー

井上康生さん 井上康生さん 柔道 2000年 シドニー大会,2004年 アテネ大会

甘さから覚醒せよ

今振り返って私は、誰よりも柔道が好きで、誰よりも努力していたという思いはあるのですが、一方で勝負師として甘さを持っていたのではないか、執念とか獰猛さとか野生さとかに欠けている自分がいたのではないかとも思います。その甘さは、母の死によって気付かされたように思うのです。シドニーオリンピックの前年の夏のことでした。直後に英国であった世界選手権に初出場し、初優勝しました。そこで私は変わったように思います。翌年のフランス国際大会、全日本選抜体重別大会と勝って100キロ級のオリンピック代表を得て、シドニーでの金メダルと続きます。私が二十一歳の時の母の急逝が、覚醒させてくれたように思います。勝負の世界はギリギリのところでの戦いですから、わずかな甘さや弱さも勝負に出てくるように思います。母は私の甘さを見切っていて、自らの命を投げ打って、そのことを教えてくれた、力を与えてくれたんじゃないかと思わざるを得ないのです。

畳の上だけが勝負ではない

井上康生さん

午前中は警視庁で練習させていただいたのですが、その際も稽古が終わった後は、全日本の選手たちに、テーピングのテープですとかペットボトルですとか拾って帰ろう、立つ鳥跡を濁さず、を励行しているのですが、選手たちに、全日本は特別な集団であると伝えています。だからこそ世界と戦っていけるのだと。ゴミを拾うといういわば当たり前のことができない集団、あるいは規律もそうですが、それが守れない集団はいずれ滅びると思います。畳の上だけが勝負なのではない、日頃の生活で当たり前のことがきちんとやれているかが、畳の上の勝負に出てくると思うからです。隙のない人間で生きていられることが、大事な試合になればなるほど、そのことが表れるのではないか、その意識は常に持つようにと言っております。だから特別な集団なのです。リオではそのようなことを率先してやっていた集団だったからこそ、メダルを勝ち取ってくれたのだろうと思います。

今の選手たちも十代、二十代の若い人たちですし、自分自身もそうですがまだまだ勉強中で、その中で一歩一歩みんな前進できていることを感じられて私自身もうれしいのですが、さらに道を求めて進んで行かなくてはいけないと思っているところです。

ご多忙な井上さんなので小一時間のインタビューではあったが、それでも濃いお話を聞くことができて、筆者としては至宝のひと時だった。井上さんの少年時代から三冠時代に至る精進、紙一重の勝負の厳しさ、礼節を尊ぶ精神性等々、言葉を介しての実体は、実は筆者の受信能力を遥かに超えていることだろう。さらに指導者として日本柔道と世界の柔道の現況を受け入れ、かつ未来へよりよき柔道を発展継承させていくことに腐心されていることがひしひしと伝わってくる。「柔よく剛を制す」から「柔剛一体」へ。微妙に異なる二者を止揚する井上さんの肉声だ。

~井上康生さん インタビュー 完~

井上康生さん
井上 康生(いのうえ こうせい)
1978(昭和53)年、宮崎県の柔道家の三男として生まれる。五歳で柔道を始め、めきめき上達。小中高、東海大時代全て全国制覇。1999(平成11)年の世界柔道選手権で優勝(その後三連覇)。翌年のシドニーオリンピック100キロ級で金メダル、2001年の全日本柔道選手権を制し(その後三連覇)、三冠達成。決め技は内股。東海大学大学院卒。英国へのコーチング留学や綜合警備保障勤務等を経て、井上康生東海大学准教授。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは男子監督として全階級メダル獲得の快挙を達成する。2020年の東京大会に向けて現在も指揮を執る。柔道六段、2013年には国際柔道連盟殿堂入りを果たした。
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