選手インタビュー

千葉建郎さんインタビュー

千葉建郎さん 千葉建郎さん ボート1960年ローマ大会 Once olympian, Always Olympian インタビュアー:田村清行 カメラ:田村友考

愉しく漕げば強くなる、逆説的ですが、愉しくなるくらい漕げということです。

千葉建郎さん

翌年私は気仙沼に戻り、水産関係の仕事を始め、鮮魚出荷、水産加工、製氷冷凍冷蔵、漁箱製造等の事業を営み、数多くの公職にもつきました。仕事もしましたが酒もよく飲み、最後の一人を送り届けてから帰る日々が続きました。ボート現役時代の体格は174センチ、72キロでしたが、いつの間にやら77キロあたりになっていました。17年前には、99.9%見込みなしといわれた食道ガンの手術をしました。院長も外科部長もボート部の先輩、後輩の病院でその後輩が、マグロの三枚おろしのようにリンパ腫に至るまで徹底的に摘出してくれました。手術後も四日間眠り続けた大手術でしたが、それに耐えた身体に感謝しました。目が覚めて、頑健な身体に産んでくれた両親に、さらに強くしてくれたボートに、そしてオリンピアンであることに感謝しました。

「支倉常長遣欧使節ローマ来訪400年、ローマ・オリンピックでの日伊大接戦のボートレース55年を記念して、両国の友好行事の開催をボート協会と始めています。アルバノ湖でぜひまたボート競技をやりましょう」。去年12月にミルビア・モナケージ市長から日本ボート協会に届いたこの親書で本格化したイベントです。そしてこの夏8月30日に、思い出のアルバノ湖での再戦となりました。日本チームは結局八大学から集まった平均年齢70歳弱のエイトで、平均70歳弱のメンバーで同年齢のイタリアに挑みました。我がチームは事前に鶴見川で一度だけ合同の練習をしただけだったのですが、みんな一流かつベテラン、最年長の私に合わせるという試合前の約束もすっ飛んで(笑)、ハイピッチで気持ちよく漕げて、一艇身以上の差で勝つことができました(笑)。今回の船は図南ではありませんでしたが、伊達政宗が海外に雄飛したいという意を込め、船名の由来ともなった「図南の鵬翼いずれの時にか奮わん久しく待つ扶揺万里の風」の詩の如く、扶揺の風に鵬翼を拡げて、雪辱を果たし、そしてイタリアのエイトとの友情も温めた、すばらしいローマ遠征でした。

ボートの練習は厳しいです。他のスポーツも一流を目指せばもちろん厳しいでしょう。でもこれは堀内さんから学んだことでもありますが、愉しく漕げば強くなる、逆説的ですが、愉しくなるくらい漕げということです。相当の練習を積んで、技術的にも工夫を重ねないとそうはならないのですが、それこそがエンジョイ・ロウイングです。

さて気仙沼の市場の近くにあった我が家も四年半前に津波に流され、今はこの仮設住宅に暮らしています。家族を亡くし、家を流され、辛い思いをしている人が多く暮らしています。そこにも生活不活発病や孤独死があります。ここの一角にある公園とそれにつながる空き地を使って、パークゴルフ場をつくりました。コミュニティーとみんなの健康維持のためにつくりたいと思うと声をかけたら、多くの住人がスコップと鍬を手にして集まってくれて、自力で見事な9ホールのコースができました。周りは山ですから、ホールインワンが出たりするとみんなで肩を叩いて大騒ぎです。コミュニティーが少しずつできてきて、みんなの集う場所が、病院からその公園になりつつあり、肉体的、精神的な健康が増進されていることを実感していて、オリンピアンとしてささやかにお役に立てたかなと思っています。

二年後には80歳になりますが、実は世界マスターズのオーバーエイティーで金メダルを取りたいと思っています。そのために、住宅の側に置いてあるエルコメーター(ローイングマシン)で、健康と体力維持に頑張っています。Once Olympian, Always Olympian.やっぱり、「希望ある限り青春」ですね(笑)。

大学時代に一気に日の当たる所に躍り出た千葉さんだが、オリンピック後はお父さんとの約束通り帰郷し、地道に仕事をし、会社を経営し、多くの公職にもつき、気仙沼から日本と世界のボートを見つめ、ボートを思い、後進を育て、ボートの良さを伝え、文字通り地に足の着いた堅実な人生を歩まれた。中央にあっても大成されたであろうとの感は強かった。聡明で、紳士で、謙虚で、しかも熱い千葉さんのお人柄に痛く感銘を受けた。取材後は、気仙沼市内から陸前高田の奇跡の一本松まで、自らガイド役を引き受け、被災の近況と今後の復興策に独自の鋭い文明評を加味しながらもあくまで紳士然とご案内してくださった。

~千葉建郎さん インタビュー 完~

千葉建郎さん
千葉 建郎(ちば けんろう)
1937(昭和12)年宮城県生まれ。東北大学卒。大学でボートに出会い一気にのめり込み、東北大最強時代を築く。1960年のローマ・オリンピックにボートのエイトに日本代表の東北大チームキャプテンとして参加。惜しくも決勝進出を逃す。その後地元気仙沼で手広く会社を経営し、公職でも広く活躍し、一貫してボートの普及促進にも尽力している。今夏55年ぶりのローマでのボートの再戦を企画実行。その団長、キャプテンの重責を見事に果たす。支倉常長慶長遣欧400年も兼ねたビッグイベントとして現地でも大きな話題となり、オリンピアンならではの熱い旧交を温めた。
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