選手インタビュー

小谷実可子さん 小谷実可子さん シンクロナイズドスイミング ソウル大会出場 オリンピック

1988年ソウル大会のシンクロナイズドスイミングのソロ、デュエット銅メダリストの小谷実可子は、これまでオリンピックの招致活動には長野冬季大会から携わり、2008年の大阪、2016年の東京、そして今回成功した2020年東京と計4回も関わってきた。今回の2020年東京オリンピックの招致活動ではどんな立場でどんな思いでどんな活動に取り組み、サポートしてきたのか。

【“笑顔”を持ち込みチームワークで勝利】

辛仁夏(以下、辛):今回の2020年東京オリンピック・パラリンピック招致活動においてアスリートアンバサダーの小谷さんは、どのような活動をされましたか?

小谷実可子(以下、小谷):2016年招致活動では理事会のメンバーとして定期的にかなり深く携わったのですが、2020年招致活動の今回に関しては一人のアスリートアンバサダーとして1年くらい前から招致活動に加わりました。国内でのムーブメントイベントに顔を出すことが多かったですね。アスリートアンバサダーであることに加え、JOC(日本オリンピック委員会)のアスリート専門部会のメンバーとしても、小学校などに出向いて招致活動をPRしたり、朝会に出てお話をしたりしました。他のアスリートアンバサダーは現役の方が多く、各競技のシーズンが始まれば招致活動から離れることになるので、私のように、現役アスリートではなく、招致活動の経験もあり、英語も話せる人材が必要であるなら、何でもお手伝いしようという気持ちで活動に携わることになりました。このような活動の中で大きな転機がありましたね。
2013年の春にIOC(国際オリンピック委員会)の評価委員会が日本に来たとき、期間中のプレゼンテーションのMC(司会役)を任され、登壇者たちの紹介やQ&Aをさばくようなお仕事をさせていただきました。このMCのお仕事では、2週間前のリハーサルから、環境の話や道路交通網、選手村の話など、多様な質問を正しく理解してどの方に答えてもらうのかまでシミュレーションしなければいけなくなりましたから、ビットファイルを読み込んで猛勉強する日々になりました。期間中の評価委員会へのプレゼンテーションは無事、いい雰囲気で終わることができたのでよかったと思っています。このお仕事をすることになって、家のことも子供のことも全部忘れ、本当に招致に300パーセント没頭した2週間を送ったので完全燃焼しましたね(笑)。
その後も、ローザンヌで行われたテクニカルプレゼンテーションで現地に行き、東京招致のブースでIOCの方々に向けてべニューについて説明したり、映像でのべニュー紹介のナビゲーター役を務めたりしました。アルゼンチンのブエノスアイレスに乗り込んでからはひたすらロビー活動に励み、東京がどれほど選手を大事にしているのかということを伝える“アスリート宣言”の記者会見では司会を務めました。

辛:2016年招致活動で浮き彫りになった課題や失敗を踏まえ、今回の2020年招致活動に携わるときに生かしたいと思ったことは何かありましたか?また、今回招致を勝ち取れた要因は何だと思いますか?

小谷:私は立場的に前回の課題を進言するようなことはできなかったので、いかすというよりは、こういった部分はうまく行って欲しいなと願うだけでした。2016年の招致活動では、後からあとで「あのときこうすれば良かった」という反省が出てきてもっと早くそれに気付いて改善できていればと残念に思う部分もありました。手伝った数人のアスリート同士のチームワークは良く、プレゼンテーションもうまくいき、旧知のIOC委員たちからは高いお褒めのコトバをいただきましたが、勝てるかどうかは結果が出るまで分からない状況でした。
でも、今回は2012年のロンドン五輪でたくさんのメダリストが生まれて成功したことで、スポーツのファンが増えて銀座のパレードに50万人の人が集まり、オリンピック選手たちも東日本大震災をきっかけに“アスリートが何かできないだろうか”と、スポーツの力で社会貢献や復興に協力する動きが出てきて、アスリート自身が自覚するというか、成熟がすごくあったように思いますね。招致活動のためというよりも、ロンドン五輪の成功と、東日本大震災があったことの産物だと思いますが、本当に多くのアスリートが気持ちよく招致活動を手伝い、ただ呼ばれただけという姿勢ではなく、「勝ちたいですよね!」という気持ちで関わってくれました。ブエノスアイレス入りしてからもアスリートはもちろんのこと、前に出る人も裏方の人も、本当に竹田恆和JOC会長や水野正人さんをはじめ全員が100%全力投球して頑張っていて、フェンシングの太田雄貴くんも競技を休んで選手活動よりもアスリート代表としてプレゼンテーションに懸けていたし、滝川クリステルさんもどんな表情でどんなジェスチャーをしたらいいのかということを真剣に考えていて、ぶつぶつ柱に向かって練習を繰り返していました。ロビー活動でもそうですが、一人ひとりが与えられた任務を積極的に必死に懸命に臨んでいて、そのエネルギーがすごかったですね。
あとでみんなに「勝因は?」と聞くと、全員が「チームワーク」と言っているのは本当にみんなが同じことを感じていたからだと思います。ブエノスアイレス入りの前から支持率も上がっていたし、放射能汚染水問題はありましたが、IOCの方たちとの接触や国内のムーブメント状況などで手ごたえがあって、さらに背中を押してくれていたと思います。IOC委員からも、汚染水問題はしかるべき人から説明してもらわなきゃいけないよと言われましたが、前日には「明日が楽しみだね」とか「東京は楽しみだね」という声を掛けられ、みんなが東京に決まるのを期待して待っている雰囲気になったので、最後の手ごたえはすごくありましたね。そういう意味では、全体的に東京に勢いがあったと思います。

辛:今回の招致活動でオリンピアンである小谷さん自身が力を注いだことがあるとしたら何ですか?

小谷:“笑顔”を持ち込むことですね。招致活動はシリアスだったり、ナーバスだったり、センシティブだったりして、気持ちで負けてしまったり、緊張してしまったりすると場の雰囲気が悪くなるんです。試合でも負けそうになったときに「えっ」という顔をしてしまうと勢いがなくなっていくけれど、そんなときほど「イヤ、大丈夫」と思って胸を張って笑顔でいることで気力を持ち直すことができるとスポーツから学んでいたので、今回の招致活動で自分の携わり方を一歩引いて考えると、与えられたタスクはそのときどきでありましたが、自分がいることで全体の雰囲気が和んだり、笑顔になれたりするような雰囲気づくりができる人間でいたいなという思いがありましたね。
ソウル五輪とバルセロナ五輪の2回のオリンピックに出ていて、ソウルのときは選手村でも元気に声を出し合って笑顔で“絶対メダルが獲れる”という自信を持った状態で競技に臨んで、メダルが獲れたんですね。バルセロナ五輪のときは、その前に長野五輪招致活動のお手伝いなどをして休養していたこともあって、オリンピックへの思いや理解は深まったけれども、若手も育って自分も感覚が衰えてきたところがあったりして、完全な自信がなかった。代表になっても常に迷っていたり悩んでいたりして、ソウル五輪のときのように強気な気持ちになれず、ネガティブ要素ばかりが自分の中に生まれて、結局競技には出られなかったんです。それも後から振り返ってみると、私はその代表の中で一番先輩だったのにいつも怖い顔をして自分のことで精一杯で、後輩たちを応援するとか、緊張を解いてあげるとか、先輩らしいことを何ひとつできないまま終わってしまったことをすごく後悔していて、生まれ変わったらもう一回、バルセロナ五輪のところをやり直したいくらいです。現役時代の私はずっと自分がトップで、人に合わせてもらって泳いできたタイプなので、自分のことで精一杯な上に、トップの人に合わせて泳ぐことができなかったんです。なので、人に合わせるとか、人のために役に立つということをもっとできる人間になりたいというのが第二の人生の中での自分の課題だったので、今回の招致活動でもどんな立場で携わるにせよ、自分が支えてあげられるような雰囲気づくりに努め、笑顔で接して声を掛けて場を和らげることを心がけていましたね。でも、そういうことは図々しくないとできないし、経験もないと空気を読む判断ができないので、そういう意味では長野、大阪、2016年東京、2020年東京の計4回目の招致活動をした経験は活かすことができたかもしれません。

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