選手インタビュー

脇田寿雄さん 脇田寿雄さん ボブスレー 1988年カルガリー 1992年アルベールビル 1994年リレハンメル 1998年長野

【ふいに訪れたボブスレーとの縁】

元川悦子(以下、元川) 和歌山のご出身でボブスレー選手というのが、全く結び付かなかったので、どうしてボブスレーを始めたのかというところからお聞きしたいのですが。

脇田寿雄(以下、脇田) 高校のときには陸上競技をしていたのです。インターハイに出て、それで特待生で国士舘大学に入って、ボブスレーは大学3年の冬から始めました。きっかけは、大学の陸上部の監督が青山さんという方だったのですが、その教え子が仙台大学の体育学部の先生で、当時、仙台大学にはボブスレー部があってオリンピック選手も出していた。1984年のサラエボオリンピックで日本チームは惨敗したので、ボブスレー選手をほかの競技、例えば陸上やアメフトなどから公募することになったのです。おそらく、その次のカルガリーオリンピックで成績を盛り返すという趣旨だったと思うのですが。
 今思い返せば、その青山先生が突然、グラウンドでテストを始めたんです。30m走や300m走、立ち五段跳びとか、陸上で言う十種競技的な、速さや飛ぶ距離によってポイントが決まるシステムがボブスレー界にもあって、それを大学で受けさせられて、突然「脇田、ちょっと仙台大学に行ってこいよ」と。そのとき少しはボブスレーという話もしてくれたかもしれませんが、そのテストをされて…500点以上取るとナショナルチームに入れるという基準があって、簡単に言うと、たまたまそれで点数を取ってナショナルチームに入ったというのがきっかけですね。

元川:いきなりナショナルチームということですか。

脇田:そうです。私はもともと陸上競技で、円盤投げをしていたのです。日本インカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)は8番くらいだったので、一流ではないのですが。陸上の投てき選手は、私が言うのも変ですが、走る(ダッシュする)のと、跳ぶ(ジャンプする)のと、ウエートと、三拍子そろっているのです。ですから、これは私の持論ですが、室伏広治選手を筆頭に投てき選手にそういうテストをさせたら、多分、総合的に一番強いのではないかと思います。

元川:投てき競技の選手はそういうものなのですね。確かに走って加速をつけて飛ばすわけだから、すべてそろっていないと遠くまで飛ばせないですものね。では、青山先生が「行ってこい」と言わなければ、公募のテストを受けることもなかったと。

脇田:まず、ないですよ。公募は毎年やっていましたから、何かのきっかけで知って自分で行くことはあったかもしれませんが、やはり確率は少ないと思います。

元川:公募は長野オリンピックの後、今もやっているのですか。

脇田:今も毎年やっています。

元川:それほど競技人口が少ないということですね。競技人口は何人ほどですか。

脇田:多分、200人いないと思います。始めようと思ってもすぐにはできないですからね。

元川:トップレベルの選手を養成しないと大会に出せないから、可能性のある人を募って、少数精鋭のような形でやっているということなのですね。

脇田:私も、個人競技で「ナショナルチーム」があることを、最初は不思議に思ったのです。

元川:そうでもしないと、サッカーなどの競技でやっているような、全国から幅広く能力のある選手を集める「トレセン活動」はできないですからね。競技の環境や特殊性もありますし。

脇田:それと、外国の選手を見ても、ボブスレーでは前の方の人と後ろで押す人がいて、後ろの人はブレーカーと言いますが、ブレーカーは陸上やアメフトをしていたりするのです。アメフトは冬にシーズンが重なる部分もありますが、そういう複数の競技をやっている選手も多いですね。ドイツでも陸上選手が多いですよ。

元川:そうですか。ラグビーなども、体格的にいいのでしょうか。

脇田:スクラムをする人ではなくてバックスですね。スクラムをする人だと多分、走れないと思うので。極端な話、30m、40mを速く走れれば、競技は何をやっている選手でもいいのです。

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