選手インタビュー

荒川静香さん 荒川静香さん フィギュアスケート 2006年トリノ

荒川静香が「イナバウアー」に象徴される見事な演技で金メダルを獲得した2006年トリノオリンピックから4年。当時の熱狂と興奮は今も多くの人々の脳裏に焼きついている。彼女にとって金メダルはあくまで「結果」。オリンピックの頂点にたどり着くまでの「過程」の方が、圧倒的に大きな意味を持つという。

【一番難しかったからフィギュアを続けた】

元川悦子(以下、元川):最初は衣装に憧れて5歳でフィギュアスケートを始めたということですが、水泳など他のスポーツもいろいろされていたにもかかわらず、フィギュアを選ばれたのはどうしてですか。

荒川静香(以下、荒川):私にとって一番難しかったからでしょうね。すぐにできるようになってしまうものはすぐに飽きてしまうタイプなんです(笑)。色々と習い事もしましたが、それ以上伸ばそうと思えなかったものがほとんどで、フィギュアスケートの場合、覚えていく技が多いことと、自分にとって私生活では培えない感覚が非常に魅力的でした。すぐにクリアできる技が多くなかったことが、続いた要因になったのではないかと思います。

元川:ジャンプだったりステップ、スピンとかたくさん技があると思うんですが。

荒川:1回転ができれば2回転に進んで、2回転ができたら3回転に進んでというように、時間をかけて進むので、非常にほかのスポーツよりも技の種類として飽きは来ないですよね。

元川:一つひとつの精度もあげていかなければいけないし、際限がないというか。

荒川:それでまた、表現というものに関しては上限がありません。芸術性と、技術性を兼ね備えたスポーツ、そういった面でも伸ばすべきものが限りなくあるということが今も滑り続けている要因だと思います。

元川:完全に一つに絞ったのは小学校高学年のときなんでしょうか。

荒川:習い事自体は色々やってはいたのですが、メインにずっとやってきたのはスケートでしたね。

元川:中学生くらいになれば国際大会にも出てらっしゃいましたし、もう水泳などをやったりしている時間はなくなっていますよね。

荒川:趣味で遊びに行ったりするくらいの時間しかなくて、本格的に習い事を並行してというのはほかにはしてなかったですね。

元川:それですっかりフィギュアスケートにはまって、オリンピックに高校生の時に出られていますが、オリンピックというものを最初に意識したのはいつ頃なんですか。

荒川:小学校3~4年生くらいのときに、オリンピックの開催地が長野と決まって、日本でオリンピックがある、しかも自分がやっているフィギュアスケートが含まれる冬季のオリンピックということで、それであれば夢の一つとしてオリンピック出場を挙げるようになったのがきっかけだったと思います。実際に自分が出場できるかもしれない、という視野に入れてとらえたのは長野オリンピックの1年くらい前。年齢資格に間に合うということと、自分がジュニアからシニアのカテゴリーにちょうど上がってもいいくらいのレベルに達してきたころでした。ただ世界で戦えるかどうかということは考えていなかった。資格的に間に合うという視点でとらえていたので、本当に夢のまだ延長戦上でした。

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