選手インタビュー

冨田正一さん 冨田正一さん アイスホッケー 1960年スコーバレー

【日本連盟、国際連盟でのチャレンジ】

広報スタッフ:冨田さんは今、日本のアイスホッケー界のトップに立っているのですね。

冨田:私がありがたいと思うのは、アイスホッケーでどん底から一番になったという過去の実績が、ものすごく自信になったんです。嫌なことほど自分から進んでやっていくこと。大きい悩みは解決した時に大きい喜びが来るから、大きい悩みごとほど逃げちゃダメ。それで今、日本アイスホッケー連盟の会長をやっているんです。70歳定年で終わりだったのですが、私が引き受けなければいけない環境になってしまったものですから、文部科学省に了解をいただいて。チャレンジする心で自分の人生を貫いて、仕事の面でも逃げないでチャレンジしています。親は私に、財産は残さないけれど教養だけは惜しまないと言ってくれたんです。教育を得た子供たちは、自分の手で仕事をして財産をつくりなさい、自分で自分の人生をつくりなさいと言われて。おかげさまでこうやって、スポーツのお世話ができています。国際アイスホッケー連盟でも30年、理事と副会長をやっています。

広報スタッフ:国際アイスホッケー連盟の仕事に関わるきっかけは何だったんですか?

冨田:日本連盟の国際委員長をやって、日本で世界選手権をという希望があった時に、前役員と一緒に国際連盟の総会に出て感じたことは、ヨーロッパ中心のスポーツ行政で、日本で世界選手権をやりたければ、参加するチーム全部の往復の航空券を出しなさいと。それを当時の連盟がオーケーしてたものですから、1回目は約束していたので従いましたが、2回目は半分は出しなさいと、我慢できなくて総会で言いました。その後には、7年に1度はノン・ヨーロピアンに開催の権利を渡すことを、規約に盛り込ませました。そのくらい主張ができたのは、オリンピックに出られるような選手になったし、仕事もできるようになった、その自信が大きい。

広報スタッフ:そうですか。プレイヤーとしては、3年というお約束で入ったということでしたが。

冨田:4シーズンやって、家へ帰ってきました。株式会社冨田、当時は「冨田商店」といったのですが、ふすま紙と、表装の織物などの材料を京都で作って、東京で表具師や絵描きさんに見てもらうというのが先代・先々代の仕事だったんです。それを、私が北米などに行ってきたので「畳よりイスがいい。洋式に変わった時に、今の仕事はいらなくなると思うよ」と言ったら親父が、「君がやるんだから好きにしなさい」と言って、社長印を私に預けてしまった。まだ31歳の頃だったですが、責任を持たせたんでしょうね。29歳の時に初めて仕事で世界を歩いて、先進国のインテリア装飾のビジネスを見て歩きました。それで欧米と仕事を始めたので英語が必要になって、イギリス人の先生に来てもらって、10年英語の勉強をしました。世界選手権も2回やって、世界の人が私の仕事ぶりを見てくれていたんですね。国際連盟の役員選挙の時に、アジアで1人、最年少で1978年に理事に選ばれたんです。それから、長野のオリンピックがあるために副会長がアジアにも必要だということで、副会長になりました。従来、日本人はほとんどしゃべらないで、議事録をとって帰ってきただけだったのに、生意気に主張をしたことが珍しかったんでしょうね。

広報スタッフ:でも海外では、意思を示すというのは当然のことですよね。

冨田:それだけに、難しい問題になると会長が私に考えを聞いてくれる。当事国ではないことが多いので、冷静に判断できるのでしょうね。私はゴールキーパーだったせいもあるけれど、向こうから来れば対応するんです。自分の方からあまり出ていって何かをすることはないですが、場を与えてくだされば一生懸命やります。

広報スタッフ:長野のオリンピックとの関わりはどのようなことでしたか。

冨田:開催地決定のバーミンガムへ行った時は、招致団の一員でした。決まった時は嬉しかったですね。大会の時は、国際アイスホッケー連盟の役員としてお手伝いしました。初めてナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)のプロが出たのですが、NHL側がいろいろと条件を言ってくるのに日本側で話せる人がいないので、私が調整役でした。国際連盟の経験が活きて、長野オリンピックでは何のトラブルもなく、アイスホッケーは超満員でした。女子のアイスホッケーがスタートしたのも長野です。女子のスタートとプロのスタートでしたから、長野は私のアイスホッケー人生の中でも意味がありました。

広報スタッフ:長野オリンピックの件では、国際オリンピック委員会(IOC)の方から表彰を受けられたということですね。

冨田:五輪の金のバッジをサマランチさんからいただいたし、ソルトレークの時には国際連盟からの推薦で、ロゲさんからオリンピックオーダーをもらいました。藍綬褒賞もいただいたり、仕事ではないけれども、スポーツではいろいろ評価を受けました。トロントのホッケー殿堂へも入れてもらいました。

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