選手インタビュー

平松純子さん 平松純子さん フィギュアスケート 1960年スコーバレー 1964年インスブルック

【ラッキーを生かして人生を切り開く】

広報スタッフ:本当にスポーツからもらったものは大きいということですね。それがあったからこそ、今もスポーツにかかわっていらっしゃる。

平松:だから辞めた時、次何を目標にしようかといった時に、いろいろ考えた中で、スケートを通じて培ったものを何か生かさないと…その頃は今のように経済的な援助がどこからももらえない時代でしょ、国からも連盟からも。だから、親のサポートだけですから、これだけ家族で支えてくれて、それを終わらせちゃうのはもったいないなと、何か生かさないともったいないなと思ったんですよ。じゃあ生かすにはどうしたらいいかっていうことで国際審判員を目指して、次にくる人たちに、私が現役の時に役員の方たちにしていただいたことを順送りでやっていくのがいいのかなって。

広報スタッフ:後につなげていく、後の方を育てていくという。

平松:そうそう。それは今もそうですよね。IF(国際競技連盟)に関わっている中で、次の世代の人たちにもどんどん…審判員っていうのは個人の資格だけれど、それだけでなく、IFの中へ入っていく人材がどんどん出てほしいから、そういう人たちをバックアップというかヘルプできる形に、私がしてもらったようにしていかなきゃいけないなと。

広報スタッフ:選手は必ず競技を辞める時が来るわけですが、その時に、審判を目指そうというところに思い当たったというのはすごいですよね。今はスポーツ選手がタレントになったりする例もありますが。

平松:私たちの時代はそんなにチョイスがなくてね、スケートに携わるならインストラクターになるか、アイスショーで滑るしかなかった。あとは地味なボランティアの、私たちのような競技役員や審判という、連盟に残る役割の三つですからね。今、若い人はみんな海外で練習してますから語学もできるし、物怖じしないし、みんながみんな連盟に入ってくれるとは思わないけど、やってくれるといいなと思いますけどね。これからは、そのスポーツの各NF(国内競技連盟)が、オリンピックに出た人たちの活躍する受け皿をよほど作ってあげないと。タレント化すると経済的なところでは雲泥の差が出てきますからね。連盟や審判の仕事は段階を踏んでいかないといけない。国際審判員でも資格がいっぱいあるわけです。インターナショナルジャッジはユニバとか他の国際試合をやれて、ISUチャンピオンシップスジャッジになるとオリンピックや世界選手権のジャッジができる。それにインターナショナルレフェリーというのがあって、ISUチャンピオンシップスレフェリー…これがないとオリンピックのレフェリーはできないとか。国内でもテストジャッジからB、A、ナショナルと、旅費を払ってもらえない段階から順に取っていくわけですよ。だから、よっぽど熱意と周りの理解がないとできない。せめてキャリアのある人を優遇していくなり、いいポジションをあげるなりして、後輩を育てていく下地を作っていかないと、ますますタレントの方ばっかりに行っちゃって役員がいなくなっちゃう。チョイスがいっぱいある今、将来の日本のフィギュア界のことを考えて本当に地道に、情熱だけっていうかな、好きというだけでやれるかどうか。

広報スタッフ:ご家族と一緒にニューヨークに住まれたようですが、それも役に立ったんですか?

平松:あれもね、また一つの私にとってのターニングポイント。引退してから模索して国際審判員の資格を1971年に取ったんですけど、駐在員の妻としてアメリカに行ったのが73年なんですね。そうしたら、昔一緒に競技をしてた人たちがアメリカで審判員になってたり、私を昔ジャッジしてくださった方々が連盟の会長とか偉い人でいたり、それとアメリカはみんなに心広いでしょ、だからニュートラルな審判員として私を受け入れてくれたわけですよ。そこで私はチャンスをもらったんです。ヨーロッパの試合にも経験を積むために出かけました。ニューヨークからは日本から行くよりも近かったので。だからもう、本当にニューヨークにいたことは私にとってはラッキーでしたね。子育ての時は大変でした。そこが女性の一番大変なことだと思うんですが、私はものすごく恵まれてて、主人も理解があったし両親、姉妹みんなが支えてくれた。でも、やっぱりそれなりに努力しないとできない。子育ての時も細々とでも続けないと、それが終わってからじゃ遅いんですよね。それは競技役員のみじゃなくて、今キャリアで女性が社会に出ている中で、いかにバランスを取りながらやってくかによってあとにつながっていくと思うんです。それを今の若い人にもね…これを頼むのが嫌とかこれを辛抱するのが嫌とか、イージーな道を行ってたらダメですよね。

広報スタッフ:そうですね、面倒なことは避けてしまうことが多いですね…。

平松:だから厳しい道を、ちょっとしんどくても選んでその段階のことをやってかないと、後からやろうと思っても、もう遅れちゃう。私はスケートに行けたことと、渡米中はスケートを通じて家族同士の交流もできたりして、すごい有意義でした。スポーツっていいなぁと。スポーツを通じて輪が広がって大きくなっていくんですね。JOCもそうだけれど、スケートっていう私のスポーツを通じてスポーツ全体に関われる。今は兵庫県体育協会や神戸市教育委員会の仕事もしてるんですけど、そういう方面にもスケートを媒介にして広がっていくわけでしょ。そういう意味でも私はものすごくラッキーでした。これからは女子もキャリアのある素晴らしい人が増えてくるから競争も激しくなると思うんだけれども、私たちの時はまだ少なく、結婚したら家庭に入っちゃう人が多い中で、すごく恵まれてきたんですね。

広報スタッフ:ラッキーと言われますが、努力なさったからラッキーがついてきたんだと思います。

平松:本当ラッキーですよ、旗手のことだってラッキーだし、長野の宣誓(1998年長野大会で審判員宣誓を務めた)だってラッキー、日本で開催された時に、あれも女性だったから選んでいただいたと思うし、そういうことでラッキー。でも確かに、その与えられたチャンスを取るか取らないかは…しんどいな、私にはハードルが高いなと思うこともいっぱいあったわけ、このISU技術委員の仕事にしても。でも、そういうのの積み重ねですから、やっぱりそれを取るか取らないかの時に、引いちゃうとダメでしょうね。だからしんどい人生ではあるんですよ、すごく。

広報スタッフ:つらい時でも、両立が大変な時期でも続けてこられたことで後につながったんですね。

平松:そうですね、私たちは早い時代で、今の選手はうらやましいなと思うことがものすごくあるわけですよ。トレーニングだって、とにかく氷の上で滑ってたらいいって言われてた時代。今は、データなんかも全部もらえるわけでしょ、ここが弱い、この体力はここを鍛えろなんて、そんなこと誰もやってくれなかったですよね。今はもう、メンタルなことまで至れり尽くせりでしょ。だから返って貪欲になれないのかなって。恵まれすぎて。でも、やっぱりトップの、それをフルに生かしてやる人っていうのは強くなっていくし、村主さんにしろ荒川さんにしろ自分でいろいろ葛藤して精神的に強くなり、技術のことも追求して、トップになるために努力してますよ。今は私たちの頃とは比べ物にならないくらい技術も上がってるし、より高度なものが求められてるわけですから、周りの教え方のノウハウも昔は先生方も手探りであったのが今はいろんな情報も入るし、その時代その時代の環境の中でみんなベストを尽くしてきての結果になってると思います。

広報スタッフ:平松さんは選手のご指導はされないのですか?

平松:フィギュアの場合はきっちり、インストラクターとして収入を得る人と、ボランティアの競技役員が分かれてるんですね。だから、指導というのは合宿なんかに行った時にはしますよ、指導っていうよりアドバイスですね。毎日リンクに行って特定の人を教えるということは、連盟の役員はないです。

広報スタッフ:平松さんの現役の頃は、コーチはどういう方でしたか?

平松:稲田悦子先生に最初に習ってます。私の母が昔選手で、札幌の幻の、戦争でキャンセルになった(1940年に札幌で予定されていた大会)時のオリンピック候補だったんですね。だから母は自分が目指してたのに幻のオリンピック選手になってしまったから、娘ができたら選手にしたいと思ってたんで、私は自分の意志でやったんじゃなくて強制的っていうか、最初は自分の意志じゃないんですよ。で、もちろん好きだからやってたわけで、オリンピック選手になりたいと思って頑張ったわけですけども、だから普段は母が見てて、稲田先生は東京から月に何回か大阪にこられた時に習って。あとは山下先生、山下一美さんのお母さんで、私の前の全日本チャンピオンなんです。関西にはインドアのリンクがなくて、10歳のお誕生日が過ぎて初めてリンクができた。だからフィギュア選手としては始めたのは遅いんですけどね。

広報スタッフ:なるほど。では、なるべくしてなったオリンピック選手ですね。

平松:多分、従順な子供だったんですね。だけどやっぱり、自分の意志がないとね。だからちょうど母の思いと私の思いがうまくいったから。

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