選手インタビュー

猪谷千春さんインタビュー

猪谷千春さん 猪谷千春さん スキー(アルペン)1952年オスロ 1956年コルチナ・ダンペッツォ 1960年スコーバレー

猪谷さんはスポーツ選手としても、ビジネス界においても類ない成功を収められた方ですし、また、現在はIOC副会長としてオリンピックの将来を決める重要な立場にいらっしゃいます。今回は猪谷さんの人生の軌跡をたどりながら、「猪谷千春」という1人の人への理解を深めるとともに、ビジネスにおけるグローバルスタンダードの問題や、また、2016年の日本のオリンピック招致運動に関して、そして、オリンピックの持つ社会的意味などについて伺いたいと思います。

【1:少年時代】
子供時代としつけの大切さ

高橋:猪谷さんは1931年国後島生まれで、ご両親とよりよいスキー環境を求めて日本中をめぐられていたそうですね。そういった子供の頃の環境や、戦前・戦中・戦後という時代的背景が猪谷さんに大きな影響を与えたと思うのですが。なかでも特にお父様の影響は大きかったのではないでしょうか。厳しいトレーニングをずうっと小さい頃からされていたというのは、猪谷さんの基礎を作るうえでとても大きな影響を与えたのではないですか?

猪谷:うん、そうね。だけど、厳しいトレーニング、プラスその人間としての教育、それもやられたのね。それともう1つは勉強をさせられたということね。

高橋:お母様が特に教育熱心だったらしいですね。

猪谷:うーん、いや。それはお袋が特にそうだったよね。

高橋:人間的な教育というのはどういう。

猪谷:躾。だから、そういう言葉を言うとみんなに嫌がられるけども、今の若い人達は躾ができていないと、ね。ちょっと嘆かわしい状況になっている。日本の社会の、日本の若い人達が。あえて言っちゃうけど。例えば、いい例がうちの下のミラーのドアがあるでしょう。外に出る時に、ビルの所にね。すると今の若い人達っていうのはポーンと自分で押してドアを開けて、後ろに人が居ようが居まいが構わない、そのまま行っちゃうわけですよね。すると、我々はドアを開けて出て行ったら必ず後ろに人が居るかどうか見て、例えば2、3メートル後ろに居たら持って待っててあげるとかね。要するにそういうような人に対する思いやりっていうのが、今の若い人達はまずゼロだね。これはやっぱり、何て言うか、人間社会に生きているんだから我々はね、やっぱり人のことも思わなければいけない。自分だけじゃ駄目だよね。だから、あんまり自己中心になりすぎているよね、今ね。それだとか、人の足を踏んだってごめんなさいも言えない、肩がぶつかってもごめんなさいも無いね。それからおはようも言えない。何かしてあげてもありがとうが言えないね。だから、この辺は何て言うのかな、今、日本の社会の、戦前から比べて一番悪くなった所の1つだね。やっぱりこれは、あのう、そういう子供に対する親の躾ができてないという、これは学校の問題じゃない、親がやる感じの問題だよね。

高橋:そういった躾に関してはお父様、お母様、両方とも非常に厳しかったんですか?

猪谷:そうね。そういった分野にまで入って。まあ、昔の人はみんなそうだったけどね。

高橋:少年時代は、とにかくお父様の練習が厳しくてもう楽しい思い出は無いっていうふうにご著書の中でお書きになっていらっしゃいますが。

猪谷:そうそうそう。

高橋:それでもそういった躾や、練習を厳しく受けたことがやっぱり今の猪谷さんを作っていったわけですか?

猪谷:そうね。だから練習が厳しかったからメダルが取れたし、躾が厳しかったから一応今、僕はどんな所に出ても別に人から、人に迷惑を掛けることはないし、嫌な思いをさせることはないし。それから結局、勉強してきたから会社の中の今があるし。それからやはり勉強してきたからこそ…どんなにスポーツの技術だけ持っていても勝てないよね。やっぱりそれを使う頭が無ければ。だからそのためにはやっぱり勉強しなければいけないよね。要するに頭が使えていい技術を持っていれば勝てる選手になるよね。

高橋:今の若いスポーツ選手に向けて言うとしたら、今の言葉を。

猪谷:うん、これはまあ足りないとは言わないけれども、是非この、これは忘れないで欲しいと。それともう1つ基礎体力をつけないといけないね。今の若い人、また、若い人達っていうけれども。

高橋:いえいえ。

猪谷:背は高くなった。手足も長くなって外人並みになってきたけれども、並みになってきたっていう理由は肝心の体力を伴っていないね。だからそれがもうここ一番という時になると駄目なんだよね。だけど、例外はたくさんあって、日本の選手の中でもね、そういう基礎体力のできている人はいい成績を挙げる、残しているけど。僕なんか飛行場でね、特に成田や何か、海外に行くときなんか。こうロビーやなんかで席がいっぱいになったりするとそのへんに行ってみんなしゃがみこんでいるのは若い人たちばっかりなんで、年寄りはそんなことしてないからね。だから如何にそういうところで体力が無いかっていうのが如実にわかるんだよね。我々なんかそんなところに座り込もうなんて考えたこともないよね。ま、脱線したけれども。

子供を成功者にするためには

高橋:猪谷さんは2歳の時からスキーを始められて、今日のご成功の影にはご家族の結束というのが非常に強いように感じるのですが…。

猪谷:結束も大事だけど一番、僕が何時もPTAなんかでもって話をする時に、一番大事なのは両親が自分の子どもがどういう潜在能力を持っているかっていうことにいち早く見抜いてやって、そして、イエスならばその潜在能力を伸ばせるような環境づくりをしてあげると。これが非常に重要な訳ね。僕の場合には両親がスキーに対するそういう能力、潜在能力みたいなものを感じ取ってくれて、そしてスキーヤーとして大成するような環境づくりをしてくれた。

高橋:本当にそうですよね。

猪谷:うん。その結果が銀メダルに結びついたのであって。だから、これは何もスポーツに限らずね、何の世界でもそうだと思う。例えば耳のいい人、子どもだったら音楽の才能があるかも知れないし、あるいは柔らかい、フレシキブルな身体、柔軟な身体を持っている人はバレリーナになるとかね、いろいろそういう方に行けるかも知れないし。とにかくどういう才能を、秘めた才能を持っているかということを早く見抜いてやって。そしてまあ、ものによっては大変お金もかかることだから、そういう環境づくりをしてあげるっていうことは難しいかも知れないけれども、できる人、できる両親だったらばそれをしてあげるっていうことだよね。これが、ここから親に課せられた、親の持っている最大の責務だと思っている。

高橋:猪谷さんのお子さんは?

猪谷:娘と息子と両方居るけれどもね。

高橋:お二人はいかがですか?

猪谷:うーん、まあ、二人とも自分の好きな道に行っているからね。娘の方はマスター取って、それで今、産経新聞に居るけれども。

高橋:じゃ、ご自分がご両親に受けたような教育だったり、あるいはそういったものを今、お子様たちにまた…。

猪谷:うーん、成功したかどうか分からないけど。

高橋:(笑)そんな。いやいや。

猪谷:だから息子はやっぱりスキーヤーになりたかったらしいんだけど。こっちが東京に住んでいたからね。そういう環境には無いんで。それで勉強とビジネスの世界に入って、いろいろやっているけれども。

高橋:でも、猪谷さんのお父様と同じ環境を作るというのは難しいですよね。

猪谷:それはそう簡単じゃないよね。

高橋:ですよね。私もご著書を拝見してすごくビックリしたんですけれども。なかなか皆さんそういう夢があったとしてもそれを実現していくというのはかなり大変ですよね。

夢を持ち、目標を立てること

猪谷:あのう、だから、それがね、1つ、また話が横に逸れるかもしれないけども。とにかく人間として大変重要なものの1つとしてやっぱり夢と目標を持つということだね。それもその夢は大きければ大きいほどいいというけれども、目標は高ければ高いほどいいっていうけども、それが全くどんな努力をしても手の届かない所じゃ駄目なんだよね。やっぱり努力したら手の届くような所に置いて、そして第2次、第3次、第4次と目標を上げていって、いきなり、天井までもって行っちゃいけないんだよね。

高橋:いきなり猪谷さんのような目標を立てたらちょっと。

猪谷:うん、ちょっと難しいよね。だから、僕が立てた目標というのはまず全日本のチャンピオンになるっていうこと。それから2つ目の目標はオリンピアンになろうということ。3つ目の目標がメダリストになるっていうこと。

高橋:ああ、一つひとつこう。

猪谷:一つずつこうクリアしていくね。それからIOCの、にも、入っても、まずなんかの委員会に抜擢してもらうっていうことが1つ。それから委員長になるっていうこと。それから理事になること。そして最後に副会長になる。会長は無理だから。もうこの歳だし。そういう一つひとつ段階をやっていく。それからビジネスの場合にも、45歳で、どの会社でもいいから社長になるっていう。

高橋:それは、でもすごい目標ですよ。

猪谷:そこに行くまでにはまず部長になって、取締役になって、常務になって、ね。そういう目標をこう立てて、それで一つひとつクリアしていくという。それから、そういう設計みたいなものが大切だからね。

高橋:うーん、なるほど。現実的な設計。

猪谷:恐らくあなただってPhDを取りたいという願望はあったかも知れないけど、まず、やっぱり一つひとつこうやっていったと思う。…だからその夢を持つことは結構目標を立てることだけれども、だけども、努力したらばまず到達できる所に、まず目標を持って行くことだよね。

高橋:夢と目標は同じですか?それとも夢はもっと漠然としていて目標はきちっと立てていくものですか?

猪谷:夢はもうトップで良いと思うんだよね。

高橋:夢はもうトップで、それに対して目標というのは現実的な。

猪谷:その夢を実現させるためには目標を立てていかなければ駄目なんだ。その目標はちょっと現実プラスαぐらいのところに目標を立てておいて、一個一個クリアしていくんだよね。

高橋:それをでも、確実に猪谷さんはクリアされてこられたわけですね。

猪谷:まあ、結果的にはそうなったけどね。

英語と異文化体験

高橋:小さい時のお話にもう一回戻りますが、猪谷さんの少年時代は戦前・戦中・戦後ということもあって時代的にも日本が世界から孤立していましたよね。また、スキーを特に重点的に考えていたということで、社会と隔絶して、例えば赤城でスキーに専念していたりという、非常に狭い、ローカルな世界の中で頑張っていらした。そしてその後、世界に出て行き、世界の猪谷さんになるわけなんですが。この変化に対して適応できたのは、1つはお父様が英語の勉強をするようにと言っていたのが大きいと思うんですけれども。そして終戦後に東京のワシントンハイツの将校のお宅に…。

猪谷:ハウスボーイ。

高橋:住み込まれて。3ヶ月間。これが最初の異文化体験ということですか?

猪谷:いや、その前に赤城山に住んでいたころ、駐留軍がドンドン観光に来ていたものだから。

高橋:ああ、そうですか。

猪谷:うん。それでジープが来ると、直ぐ音で、あの頃、山の上に車なんか上がってこなかったから、ジープぐらいしか上がって来られなかったんですけどね。それで、直ぐ飛んで行って友達になっちゃったりとか。友達っていうかね。で、僕もこっちは子どもだから、まあ、なんて言うの、子供に対しては、結構ね、アメリカ人たちもキャンディくれたりなんかして。ま、どっちかというとキャンディ恋しさに行ったのかも知れないけれどね。

高橋:でも、英語はその時お話になれたんですか?

猪谷:それで、それで段々興味が。

高橋:あ、コミュニケーションしていくうちに。

猪谷:うん。

高橋:なるほど。じゃ、自分で独学でお勉強しながらそういうちょっとしたコミュニケーションしていってという形で。

猪谷:そういうことだよね。

高橋:そうすると小さい時からわりと英語を使えるというか、そういう環境には少しあったんですか?

猪谷:まあね、結局ね、親父のDNAなんだろうと思うけども、僕というのはわりあいにそのうドンドン出ていって友達になるタイプなんだよね。うちに籠もってないタイプだから。

高橋:何かスキーというとこう個人競技ですごく籠もってストイックにやっていくのかなというイメージがあったんですけど。

猪谷:まあ、そういうイメージが無いことはないけれども。

高橋:非常に社交的にお友達になって。

猪谷:うん、良く言えば社交的ね。うん。だからそういった意味ではその後、海外に出て行って自分からドンドン友達を作っていくタイプだから、良かったんだろうと思うけどね。

アメリカ留学

高橋:なるほど。その後、田島さん、スターさんという第2、第3の父というふうに呼ばれていらっしゃる方々にお会いして、ダートマス大学に留学されたんですよね。まだ戦後7年しか経ってなかった時に。

猪谷:そうね。まだ本当にアメリカとの間で講和条約が結ばれて1年も経ってなかったような状況でね。

高橋:そのときに、しかも日本人がいない大学に。

猪谷:いないところ。

高橋:そんな環境でもスキーチームのキャプテンを2年間されて、さらに卒業の時にはダートマスカップを授与されたという。本当にアメリカの大学に溶け込んでいらっしゃったという感じですよね。

猪谷:そうね。そこはやっぱりアメリカ人の懐の深さがあったんだと思うね。まあ、いろいろ我々が現在のアメリカ人に対して批判的だけれども、昔はやっぱり今のアメリカの政治家やなんかとそれからアメリカの国民と一緒にしちゃいけないと思うね。

高橋:ああ、なるほど。

猪谷:うん。やっぱりアメリカの政治家っていうのは、ま、ああいう文化の中だからああいうタイプになるんだろうけども。やっぱり田舎に行ったり、地方に行ったりしたらば、やっぱり彼らとてちょっと違うのでね。どっちかと言うと普通だよね。

高橋:差別みたいなものは無かったですか?周りに日本人がいなくて。

猪谷:あっても不思議じゃなかったけどね。僕の唯一の自慢話はデートしようにも日本人の女の子がいなかったんで、何時も白人の女の子とばっかりデートしてたんだけども、1回も断られたことが無かったっていうのが自慢なんだけど。

高橋:それは猪谷さんが魅力的だから、日本人とかそういうのじゃなくても、猪谷さんという…。

猪谷:その頃はほら、決して人気のある民族じゃなかったからね、まだね。

高橋:そうですね。

猪谷:だから、そういう中にあって、ブラインドデートやなんかしても1回も断られたことが無かったっていうのが、唯一大学生活で自慢できることで。

「日本人」としての自分と「アメリカ人」としての自分

高橋:それだけアメリカの大学に溶け込んでいらした猪谷さんですが、その時は自分が日本人であるという意識であるのか、それとももうアメリカ人という意識だったんでしょうか?

猪谷:なるべくアメリカ人になりきろうとしていた。だから、本当に自分が日本人なんだなと思うのは、朝、起きて、鏡に向かって顔をみる時ね。髭を剃る時ぐらいでね。後はもう自分も金髪で青い目してて、白人だと思って付き合っていたし。だから、あのう。特にアメリカ人の場合そうだけど、こっちから出て行くと向うはいろいろとやってくれるんだよね。

高橋:あ、そうですよね。

猪谷:だけどこっちが出て行かなかったら、ああ、あの人は孤独を楽しんでるんだろうから邪魔をしない方がいいっていうんで、ね。だから、まあ日本の選手やなんかも海外に行く時にはもう積極的にドンドン出ていって、外国の女子の選手とデートなんかしたりするぐらいのね、ことをやれば、そうすればそのう、硬い雰囲気、あるいは緊張した雰囲気の中からでもリラックスする方法も見つかるしね、その方が却っていい成績が出る、そういうものに結びつくよね。

高橋:留学して最初の時っていうのは、全くアメリカに対して嫌悪感は抱かなかったんですか?やっぱり、私も留学をしたことがあるので、初めは自分がすごく日本人というのを逆に意識して、日本人としてのアイデンティティが高まっていって、それから徐々に現地の人と仲良くなるにしたがってそういうものが取れてきて、というところがあったんですが。

猪谷:僕は二重面相なんだよ。

高橋:二重面相?

猪谷:うん。僕は普通の人でいる時にはもうアメリカ人になりきろうとしてやっていたし、それから今度は選手として大会に出る時にはやはり日本人であるということに誇りを持って常に日の丸を付けて、試合に出ていたり、だから絶対にもう、良く旅の恥はかき捨てっていうけれども、やはり日本を背負って来ているんだからということで、あんまり羽目を外さないように気をつけなければって。

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